キリキリと神経が引き絞られるような感覚に、全身の筋肉が固くなる。

鉛のように重い腕を持ち上げて、僅かな躊躇の後に入室の合図を鳴らした。

『どうぞ』

扉の向こうから声が届いた瞬間、腰の中心から背中を駆け昇ったのは悪寒だ。

神楽は逃げ出したい本音を理性でねじ伏せると、血の気の引いた指先で静かにノブを掴んだ。

「失礼致します。鳳来大佐」
「へぇ、珍しいこともあるね。神楽から来るなんてさ」

艶のある低音で名を呼ぶのは、部屋の主。

緩やかに波打つ紫紺色の長髪を、着崩した軍服の肩に垂らした男は、艶やかな美貌にうっそりとした微笑みを浮かべた。

「久しぶりだね」
「……先日、会議でお会いしたばかりです」
「ふぅん、そういうこと言っちゃうわけ。二人きりで顔を合わせたのは、二年ぶりだってのに」

不機嫌そうに眉を顰めると、鳳来は執務机の椅子から立ち上がった。

扉の前に立ち尽くす神楽へと、一歩、また一歩と寄って来る。

「俺が第二司令部から戻って来たの、三カ月は前なんだけど? なんで今の今まで来なかったかな。結構待ってたんだよね」
「ご多忙と思いましたので遠慮していたのですが、申し訳ありませんでした」
「ふはっ、やだね。今じゃお前の方が階位は上だ。必要以上に謙るなよ」
「私はどなたにもこの口調ですから。ご存知でしょう」

得意の微笑で応じると、間近に迫った鳳来の青い瞳に愉悦の光りが灯った。

同僚ではあり得ぬ距離まで顔を近づけ、口付けるかのように囁きを落とす。

「よく、知っているよ。そのバカみたいな口調が、みっともなく乱れることをさ」

伸ばされた腕が、神楽の脇を掠めて扉に鍵をかける。

ガチャリという錠の音が、やけに耳についた。

あぁ、もう逃げられない。

そう思って、往生際の悪い自分自身に苦笑する。

この部屋を訪れると決めたのは、一体誰か。

すべてを覚悟した上での決断であったのに、どうにかして免れようと考えていたらしい。

「……なに笑ってんの」
「いえ、何でもありません。それよりも本題に移りましょう。横領の件です」

無表情とも言い換え可能な笑みで言えば、相手は気を削がれたのか顔を顰めた。

あっさりと身を翻し、見るからに一級品と分かる布張りのソファへ腰を下ろす。

優雅な仕草で長い足を組み、億劫そうに頬杖をついた。

だらしのない体勢が様になってしまうのは、彼の気だるげな美貌がためであり、生来からの気品にも依る。

内面がどれほど破綻していても、彼は間違いなく大貴族なのだ。

つまらなそうな顔で先を促され、神楽は対外用の姿勢を崩さぬまま口を開いた。

「貴方の関与している件を、追及するつもりはありません。決定的な証拠も掴んではいないし、詳細も調べていない。正直に申し上げて、表沙汰にさえならなければ、どうでもいいんです」
「そうだろうね」
「えぇ。今まで通り、好きにやって頂いて結構です。ただし、別の人間を使って下さい」
「つまり?」
「あの士官を、引き渡して頂けますか」




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