緩んだ谷間から舌を潜らせ、擦り寄るように相手の口腔を弄ぶ。

角度を変えてさらに交わりを深くさせながら、だらしない軍服の胸元から覗く素肌に指を添わせる。

そのまま首筋を撫で上げて、ピアスに飾られた耳朶をくすぐれば、自分を抱える腕がビクリッと反応するのが分かった。

この男に自ら唇を寄せる日が来るなど、思いもしなかった。

過去、徹底的に拒絶をし続けて来た自分が、あの鋭い牙を舐る日が来るなんて。

まるで悪い夢を見ているようだ。

けれど今、優先させるべきは何であるのか。

考えるまでもなかった。

最後に薄い下唇を甘噛みしてやると、神楽はゆっくりと瞼を持ち上げた。

驚愕で硬直した男に、嫣然と微笑みかける。

「媚びて欲しいのなら、私の望みを叶えて下さい。――貴方になら、出来るでしょう?」

貴方だけが、出来るでしょう?

「っ、お前な……!」
「なにか問題でも」

強張りが解けるや苦み走った表情をする男に、神楽は平然と問いかけた。

言いたいことは山ほどあれど、上手く言葉にすることが出来ないのか、衝動で喉が塞がれたのか。

挑発して来たのは自分だというのに、碧は咎めるような視線で神楽を睨み下ろした。

それを冷然とした態度で受け止めながら、今の今まで引き寄せていた身体を押し退ける。

「さて、ご要望通り媚びたんですから、約束を守って頂けますね」

男の腕から解放されたのは、催促をして二呼吸ほど間を置いてからであった。

眉間にしわを寄せる碧に構わず、神楽は内ポケットからピルケースを取り出して、自作の痛み止めと止血剤を飲み下す。

即効性の薬は平時を装う神楽の頼もしい味方となった。

すっと背筋を伸ばした立ち姿は美しく、傍から見れば負傷しているとは思えない。

軍服の汚れは返り血だと言ってしまえば、疑う者などいないだろう。

すっかりいつもの様子に戻った神楽は、傍らで黙り込む碧のことなど忘れたように、一瞥すらせず元来た道を引き返した。

すでに彼の優秀な頭脳は、もっとも効果的な近衛兵団への恩の売り方を考え始めている。

取り残された男が零した、甘さの滲む恨み言など届かない。

「……血の匂いしかしねぇんだよ」

今にも蘇りそうな口付けの感触を、眼前の駆け引きに集中することで誤魔化す神楽には、決して届いてはならないのである。


fin.




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