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腰のサーベルを引き抜き、音もなく床を蹴った。
すかさず繰り出された水の弾丸は、火澄が使役した火精霊によってすべて蒸発する。
ギンッと室内を劈く金属音。
刺客のカタールと切り結んだ神楽は、腕にかかる凄まじい圧力につい眉を寄せた。
身長差から予想はしていたが、まさかここまで腕力に違いがあるとは。
長くは持ちそうにない。
その短い均衡状態の隙に、火澄の火竜が咆哮を上げた。
敵を喰らわんと牙を剥き、火の粉を振り撒きながら迫り来る。
即座に退避しようとした神楽は、しかしサーベルを握る手を掴まれ目を見開いた。
拘束は堅固でびくともしない。
道連れを狙っているのか、術を中止させるつもりか。
だが、火竜は躊躇うことなく刺客を呑み込んだ。
「っ!」
炎の只中に取り込まれ、黒装束は堪らず片膝をつく。
水のシールドで防御するものの、術師としての力量で火澄に劣っている以上、敗北は時間の問題である。
酸素の失われていく業火の檻は、決して囚人を逃がさない。
「大丈夫、神楽」
「えぇ、問題ありません。お気遣いなく」
火澄の問いかけに、炎から逃れた神楽は平然と応えた。
火竜に呑まれる直前、神楽は袖口からナイフを出現させるや、拘束の手を容赦なく貫いたのである。
刺客の右手は焔とは異なる赤で染まっていることだろう。
「それより火澄様、そろそろ術を解いた方がよろしいかと。自害されても困ります」
「ん、あぁそうだね」
すでに刺客を包むシールドは崩壊寸前、酸欠に喘ぐ姿が透き通った緋色の向こうに見える。
暗殺の失敗を悟り、舌を噛み切られては意味がない。
火澄が指を鳴らすと、煌々と燃え盛る焔は一瞬で霧散した。
後に残されたのは、疲弊し切った男。
そう思っていた。
水精霊の矢が、神楽を貫かんと空を裂くまでは。
油断していたかと言われれば、否定はできない。
けれどそれだけではなかった。
神楽の身体能力では、致命傷を回避するだけで精いっぱいの一撃だった。
「つっ……!」
脇腹を掠めた矢は、まるで猛獣の爪のように重く肉を抉った。
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