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事は数日前に遡る。
イルビナ軍の追っ手を振り切った彼らは、街の近くに停めてあった敵のジープを奪い、ヴェルンに最も近い港町――シストに居た。
残してきた蓮璃の身が気がかりでならなかったが、きっと彼女は平気だと思い直した。
冷静になった頭で考えれば、情報提供者として報奨金が貰えることはあっても、拷問にかけられる心配はまるでない。
不法入国の露見を危惧すれば、彼女を拘束することもないはず。
ほっと胸を撫で下ろした衣織に、雪は思わぬ提案をした。
――共に来るか?
――え?
南国ネイドに向かうと言った白銀の男は、シストの船着場でそう言った。
一瞬、何を言われたのか理解が遅れる。
契約はソグディス山を下った時に終了したはずだ。
報酬は前払いにしていたし、これで彼との関係もお終いだと思っていたのに。
――なんで?
訝しげな眼差しを向ける衣織に、雪は淡々と述べる。
――お前の実力が惜しい。それに……
猫を被っていないときはあまり変化のない綺麗な顔は、裏があるようにも見えなかった。
――少し、興味がある
――……なにそれ
喉の奥がヒクリと動く。
彼の真意はまるで掴めなくて、衣織の胸中は不自然に騒いだ。
――お前の存在が気になるんだ
――変な言い方すんな
――そうか?
こんな厄介事の臭いがする男について行くなど、これまでの自分なら絶対にありえなかった。
面倒はごめんだったし、出来る限り回避したかった。
なのに。
あの時の自分は確かに妙な魔力に取り憑かれていた。
――いいよ
蓮璃を失った喪失感を、埋めたかったのかもしれない。
二年前と同じように、また一人きりの日々が始まると覚悟していたから。
誰かと共に過ごす日々に慣れたせいで、孤独な明日に少しだけ抵抗があったのだ。
だが、それだけではないと知っていた。
もう少しだけ、彼と一緒にいてもいいか。
何て、らしくもなく思った自分がいた。
――そうか
嬉しそうに微笑まれた瞬間、衣織は自分の返答の正しさに、ドクンッと一つ脈を打った。
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