■
SIDE:神楽
その扉を潜ったとき、異様なほどの静けさに鳥肌が立った。
気味の悪い静寂に明らかな違和感を覚え、研究所内を見回す。
破損した精密機械の間には、倒れ伏す幾人もの兵士たち。
それらを避けて、室内中央の花突へと近づいて行く。
ポッドの保護壁が取り払われたそこには台座が残るばかりで、記憶にあるような光りの粒子は少しもなかった。
代わりに、台座に一人の男が立ち尽くしている。
身動ぎもせず、ただ静かに直立しているのだ。
白銀の髪がかかったローブの背中に、神楽は妙な胸騒ぎを抱えつつ呼び掛けた。
「雪さん……?」
無視と言うよりも、こちらの声が届いていない様子に、背筋を嫌な汗が伝い落ちる。
共に入室した碧は何かを察したのか、雪に歩み寄ると、その肩を引いて無理やり振り向かせた。
「おい、儀式はどうなった。いったい何が――」
不自然に途絶えた問いは、雪の見開いたままの眼のせいだと、神楽も気が付いた。
開かれた目蓋は凍りつき、己が目にしたものを受け入れかねているように見える。
明らかに尋常ではない。
「雪さん、本当にどうされたんですか!?衣織さんは……衣織さん?」
術師を正気に戻すには必要不可欠な少年の名を口にして、ようやく状況が見えて来た。
なぜ、雪は一人でいるのだろう。
確かに自分は、雪と衣織の二人を見送ったはずだ。
それなのに、あの漆黒の髪はどこにもない。
衣織はこんな状態の雪を置いて、どこに行ったと言うのか。
美貌の術師が何よりも大切にしている名前を紡ぐと、彼はピクリと体を震わせた。
「――ない」
「なんだ?はっきり言え」
双肩に手を置いて虚ろな表情を覗き込んだ碧が、僅かに急いた調子で先を促した。
抑揚の薄い感情の籠らぬ声が、雪の唇から流れる。
「いない……。気付いたときには、いなかった」
「まさかっ!」
「手を、握っていたのに。どこにも、いなかった」
固く握ったままの掌を、彼はゆっくりと開いた。
電灯の鈍い光りを受けて、輝くものが乗っている。
「それは……」
それは、透明な水晶だった。
花石と呼ばれる、華真族の心臓に埋まる核の石だった。
- 553 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]