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遠目から攻撃の機会を窺っていた士官の一人が、衣織の異変に気付く。
目の先を追われたのだ。
「お、おい!術師を止めろっ」
「やばっ……」
未熟な己を胸中だけで思い切り罵倒するのは後回し。
あれだけ自分を狙っていた面々が、優先順位を思い出すや一気に雪へと切っ先を向けるから、心臓がぎゅっと硬くなった。
変化の少ない術師の面が、これ見よがしな不機嫌で彩られる。
精神の消耗を抑えるために、必要最低限の術で襲い来る敵を迎え撃つ。
衣織は雪を取り囲む輪の外側から、中央を目指して切り崩しにかかった。
蹴りつけ、殴り倒し、ほとんど力押しで前進する。
その鬼気迫る勢いに、敵が呑まれた好機を見逃さず、更に紅色の軍服を払い除けた。
分厚い層の半ばまで進めば、十分だ。
勢いをつけて床を蹴ると、衣織は一人の士官を踏み台に高く跳び上がった。
宙返りをするようにして、雪の隣へと見事に着地を果たす。
そうして突然降り立ったこちらに瞠目する兵士たちへ、容赦なく銃弾を浴びせた。
四方から上がる悲鳴に、「掠ったくらいだろ」と毒づくと、傍らから嘆息が寄越された。
「無茶をするな」
「これから無茶する予定のあんたが、よく言うよ」
反論が出来ないのか、黙った男は剣を振り上げた一人の顔面に、水精霊の術を叩き付けた。
窒息ぎりぎりまで呼吸器官を塞がれた兵士は、たまらず昏倒する。
地味だが効果覿面な術に感心しつつ、少年は花突への道を確保した。
「雪、早く――」
「馬鹿が!ポッドのロックを解除しなければ、花突への接触は……え?」
花突へと駆け寄ったこちらを嘲るイルビナ兵は、突如鳴り響いた電子音に凍りついた。
ジリリリ、と耳に突き刺さる音色は、花突のエネルギーを閉じ込めるポッドの保護壁が解除された証だ。
研究所のスピーカーから、耳慣れた声が流れた。
『第一、第二保護壁解除〜!いや、ここへのハッキングは本当にしんどかったよ』
玲明のふざけた調子に動揺する士官たちとは対照的に、衣織は頬を緩める。
立場が立場だけに、戦闘に参加できない玲明の役割は、総本部のメインコンピューターへのハッキングだ。
これには神楽が最後の最後まで抵抗を示していたが、必要最低限の情報開示と、事が済んだ後一週間はコンピューターに触らないことを条件に渋々承諾してくれた。
戦時中ではないと言え、他国に自国の中枢を明かすのはあまりに危険だ。
玲明がコンピューターに触れない間に、何から何まで設定を書き換えるのだろう。
空気の抜けるような音を立てて、透明な円柱が床へと下がって行く。
途端、ぶわっと吹き荒れた強風に少年は頬を打たれた。
眩い光りが明滅を繰り返し、視界を白に染める。
「不味い、誰か雪=華真を止めろぉ!」
「苑麗元帥のご命令がっ……」
怒声と叫びが木霊する中、衣織は溢れ出す輝きに突き進む雪を見ていた。
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