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SIDE:神楽
碧を抱き起こした体勢のまま、神楽は連絡通路の奥を見据えていた。
連続した爆音が止んだのは、随分と前だ。
破壊された天井によって通路を見通すことは出来ないけれど、火澄の闘いが決着したのだと神楽は悟っていた。
初めて火澄を見たのは、初等教育を受けていたころだったと思う。
苑麗家主催の催しに翔庵家の一人として両親に連れて行かれた。
当時の火澄も花のように麗しかったが、そのときは然したる興味も抱かなかった。
蒼牙の隣りで天使の顔を上品に微笑ませるだけの少年に、よく出来た後継者だと思った程度。
弱小貴族に過ぎぬ自分と、四大貴族の次期当主が会話をする機会があるわけもなく、こちらが一方的に彼を認識しただけだ。
それから数年。
飛び級を重ね、最年少で軍の関連施設の研究所に所属した神楽は、甘やかな声に呼び掛けられた。
上流階級に属する者らしい、優雅な仕草で差し出された手と、安穏とは程遠い鋭利な輝きを秘めた双眸の差に、彼がただの苑麗家ご子息様ではないと気が付いた。
聡明な頭脳と圧倒的な戦闘力、他者を惹きつけ従える天武の才に、知らず己も魅せられていたのか。
気付いたときには、火澄の脇を護る自分がいた。
本当は、ずっと信じられなかった。
火澄が蒼牙に剣を向けるなんて、極近い場所で彼を支えて来た神楽に信じられるはずがなかった。
己の上官が、どれほど義父を慕っているかを知っていたから。
その火澄が、今闘いを終えた。
沈黙の落ちた状況を鑑みれば、勝者が誰であるかは明白だ。
彼は己の決意をまっとうしたのだろう。
神楽は静かに目を伏せた。
胸裏で微かに揺れる感情を、否定せずに受け入れる。
火澄はどれほどの思いで、最愛の存在に手をかけたのだろう。
悲痛な叫びを堪えた尊い精神は、哀れなほどに高潔であまりに切ない。
「終わったのか……」
「えぇ、そのようです」
腕の中から聞こえた低い呟きに、神楽は胸を締め付ける感情を振り払いながら、是を告げた。
そうか、と短く返した男は、そのまま立ち上がろうとする。
慌てて手を貸したものの、研究所へと歩き出した碧にぎょっとした。
「どこへ行くおつもりですかっ」
「あぁ?決まってんだろ」
当然とばかりに返されても、納得できるはずがない。
自分よりもずっと逞しい腕を掴み、引き止めた。
「大人しくして下さい。怪我を負った貴方が行ったところで、足手纏いになるだけです」
今頃、研究所では衣織たちによる激しい戦闘が繰り広げられているはずだ。
イルビナ最強の呼び声が高い碧と言えど、腹に穴を開けた状態ではろくに応戦も出来ないだろう。
無謀にもほどがある。
厳しい口調で窘めるこちらを、振り返った碧の瞳が真っ直ぐに見下ろした。
注がれる視線はいやに真剣で、彼の本気を訴えるが、それでも退くわけにはいかない。
神楽は強い意志を宿した瞳で受け止めた。
「雪さんが心配なのは分かります。ですが、そんな顔色の貴方に何が――」
続く予定の言葉は、柔らかに押し当てられた薄い唇に堰き止められた。
え?
回避する猶予も、驚く余裕もなかった。
触れ合うだけの、幼ささえ感じる口付けは、瞬きの間にも満たない時間で解かれる。
何が起こったのか理解できず唖然とする神楽に、碧は寸前までの表情を崩して、ニヤリと口角を持ち上げた。
「隙だらけのお前に言われたくねぇよ」
「っ……!」
「俺が心配なら、お前がついて来ればいい」
満足げな微笑みと共に、ひどく不遜な言葉を言い放った男は、自分の腕を掴む拘束が緩んだのをいいことに、さっさと歩みを再開させる。
呆気にとられた士官たちは身動ぎも出来ずにいた。
「冗談じゃないっ……」
忌々しげに吐き出した神楽が、その背中を追いかけるのは次のとき。
前を進む広い背中も、喧しい己の心臓も、刺し殺してしまいたかった。
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