蒼牙が新たに風精霊を使役する前に、その黒衣は炎の檻によって包囲された。

矢で注意を引き付けると同時に、蛇のように細く静かな炎を足元から這わせて、相手をぐるりと取り囲んでいたのだ。

一気に火力が増し、大蛇がとぐろを巻くように獲物の逃げ場所を奪う。

煌々と燃え盛る勢いに合わせて、内側の酸素は減少して行き、捕えた者に息苦しさを与える凶悪な檻。

鮮やかな色を映す緋色の眼に冷酷さを湛えていた火澄は、ガクリと膝を着いた元帥に我へと返った。

自分が相手にしているのは誰であるのか。

猛攻によって余裕を失った頭は、すっかり失念していた。

「あ……父さんっ」
「はっ、かは……」

慌てて術を解いたものの、蒼牙は肩を震わせながら蹲り、肺を抑えて咳き込んでいる。

口元を覆った手から、ポタリと垂れた赤い滴に息を呑んだ。

血だ。

病魔に侵され余命幾許もない身で、心身を酷使する精霊術での戦闘は、どれほどの負担であっただろう。

本来であれば寝台で安静にしているべき立場の父が、昔のように漆黒の軍服に袖を通し、覇者の風格を漂わせて立っていたこと自体おかしいのだ。

誰よりも父の容体を把握していたはずなのに、現役時代に戻ったかのような姿を前にして、無意識のうちに目を逸らしていた。

蒼牙が病から回復することは、あり得ない。

死を待つ以外に手はなく、薬でどうにか持たせている状態だった。

それほど衰弱した身体に鞭を打って、蒼牙は戦いを挑んで来たのだ。

すべては世界を選んだ火澄のために。

蒼牙の野望のために世界を破滅させてはならないと、彼を裏切りこうして対峙する道を選んだ火澄のために。

こうなることを、少しも考えなかったわけではない。

反旗を翻すとは、自らの手にかけることもあり得ると分かっている。

理解した上で、覚悟を決めた。

それでも。

理性では御しきれぬ想いに突き動かされ、倒れる父へと駆け寄ろうとした。

「来るな!」

厳しい声に、踏み出しかけた足を止められる。

火澄の心配を全力で撥ね付ける硬質な眼光は、無残に肩を上下させる姿とは裏腹に少しの衰えも見られない。

ずっと傍で目にして来た、憧れ続けた、誇り高き瞳に胸を突かれる。

「敵に情けをかけるなと、教えたはずだ」
「け、ど……」
「忘れたかっ」

吼えるような言葉と共に、一陣の風が火澄の頬を横切った。

滑らかな皮膚が切れて、ぷくりと浮かんだ血が顎先へと伝い落ちる。

その痛みさえ、今は遠かった。




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