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己は「碧」であり「ジェノサイド・ランス」。
他には何もない。
それでいい、それだけでいい。
それだけが、いい。
血潮を噴かせて屍を生み出す毎日は、心を落ち着かせた。
戦があれば何処であろうと飛び込んだ。
あの日も、そう。
西国で起こった内乱に参戦しようと連絡船に乗った。
まさか嵐に見舞われ、船が転覆するとは思いもしなかった。
海へと投げ出され、襲い来る荒波の中を小さな板きれに掴まり翻弄された。
意識を取り戻した「碧」の目に映ったのは、柔らかな風とまろやかな日差し。
咲き誇る草花と清流のせせらぎ、曇りない蒼天。
母の話を思い出す前に、本能が告げた。
ここが己の故郷――天園だと。
あぁ、逃れられない。
血の力はあまりに強く、抜け出すことは出来ないのだと、痛感させられた。
ならばいっそ、すべてを破壊してやろうか。
どう足掻いても華真族から解放されないのなら、一族そのものを消してしまえばいい。
殲滅してしまえば、今度こそ己は、ただの「碧」になれるはずだ。
おぞましい悲鳴を上げながら溢れだす感情は、未だに何であったのか判然としない。
ただ、己が己であろうとしたのは、確かだった。
嵐でも手放さずにいたランスを握り、天園に歩を刻んだとき、一つの人影を小川の傍らに見つけた。
こちらに気付くことなく、水面を見下ろす相手の長い髪は、陽光を弾く艶やかな白銀の髪。
初めて目にした、母でも己でもない華真族。
「碧」は、殺せなかった。
確かに抱いていた抹殺の意志が、その存在を目の当たりにした瞬間、消失してしまったのだ。
その人は荘厳なまでに美しい容貌の持ち主だった。
端正な面は至極秀麗で、華奢な立ち姿からは神々しさすら感じられた。
だが、「碧」から殺意を奪ったのは、そんな表層的なものではなかった。
華真族固有の金色に宿る感情の冷たさに、暗い炎が一瞬で掻き消された。
多くの人間を見て来た。
清い者、あざとい者、無垢な者、賢しい者、堕ちた者、狂った者、凪いだ者。
戦場にはありとあらゆる境遇を経た者が集まっており、この世の縮図のようですらあった。
しかしそれほどに熱を失くした眼に出遭ったことはなかった。
まるでこの世のすべてを諦めたような、見放したような、受け入れたような冷たい双眸。
まるでこの世のすべてを恨むような、厭うような、憎んでいるような矛盾した双眸。
嫌悪する世界を受容した瞳は、触れれば火傷をしそうなほどに冷え切っていた。
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