□
目の前が真っ暗になった。
「……嘘だ」
唇が戦慄き、体が小刻みに震えた。
「衣織?どうしたの?」
これは嘘だ。
これは夢だ。
信じたくない。
眼前に広がる光景を。
信じたくない。
蓮璃の瞳に宿ったその色を。
衝撃は衣織の内部を容赦なく穿った。
眩暈すら覚えふらついた体は、しかしまたしても雪の腕によって支えられる。
「雪さんもお帰りなさい」
「ただいま戻りました」
衣織を庇うように前に出た雪は、端整な面に優雅な笑顔を浮べた。
それでも扉は開けたままで、入り口から動こうとはしない。
凍えた外気が店内へと流れ込む。
「二人とも帰ってきてくれて嬉しいわ。……あぁ、そうそう」
カップを取り出すために戸棚に向かった蓮璃は、ごく自然な調子で言葉を発する。
常と変らぬ、自然な調子で。
「二人にお客様が来ているの」
死刑宣告を、下した。
突如として奥の扉が開き、赤い軍勢が飛び出した。
物凄い足音と共に、階段からも複数の兵士が現れる。
だが、照準を合わせた銃口にも、構えられたサーベルにも、少年が目を向けることはなかった。
見つめる先には、ただ一人。
もう本当に限界だったのだ。
壊れそうな心で、蓮璃を見つめる。
「衣織、愛しているわ。だから、必ず『帰って来て』ね?」
彼女の双眸には、もはや一片の正気すら見い出せなかった。
「蓮、璃……」
「総員、構えっ!」
号令に従い、イルビナ軍勢は一斉に撃鉄に指をかける。
逃げなければいけない。
逃げなければいけない。
危機を訴える警鐘は鼓膜を破るほどなのに、衣織の足はまるで縫い止められたかのように、その場から動けずにいる。
- 49 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]