■
SIDE:神楽
誰かが漏らした疑問符は、神楽の胸の内と一致していた。
もしかすれば、己が口にしたのかもしれないが、それにしてはやけに音が遠い。
痩躯を埋め尽くすは視界から取り込む光景ただ一つで、他の何かに気を回す余裕など微塵もなかった。
神楽の視線の先には、あの男。
白銀の術師を背後に庇い立ち塞がる、あの男の姿がある。
腹を貫く怜悧な刃を片手で掴みながら、どくりと溢れ出る血など知らぬように、奇襲を仕掛けた相手を緩い笑みで見据えていた。
「ふふ、あははっ……あはははは!」
響き渡る嘲笑の主は、レイピアの柄から手を離し身体を仰け反らせた。
釦を掛け違った軍服のジャケットは歪なシルエットを描き、尋常でないのは明らかだ。
天を仰ぐ碧眼に狂気を漲らせ、結い上げていないプラチナブロンドの髪を振り乱す様は、禍々しさに満ちていた。
紫倉=清凛。
これは、何の悪夢だろうか。
自らの危機に気付けずにいた愚鈍な男が、直前に反応をした一人によって、赤を貪らんとする女の凶刃から護られたのだ。
まるで、「あのとき」のように。
脳に焼き付いた記憶が明滅を繰り返し、近い過去と現在を混濁させる。
信じられぬものを見る目で硬直した雪が、愚かで無力な「あのとき」の己にすり替わる。
成す術もなく、ただ護られただけの己が、そこにいた。
「っ……」
急速に退いて行く血の気に代わって、深く重い何かが全身に広がる。
憤怒、悔恨、悲哀、自責、ありとあらゆる絶望的な感情が混ざり合い、生まれた暗い想いは純然たる闇色。
混じりけのない殺意が指の先にまで行き渡るのと、碧の膝が無残にも崩折れたのは同時だった。
神楽の両手が翻るや、放たれた無数のナイフは空を裂き、笑い狂う女の両肩に、両膝にその身を埋め血潮を噴かせた。
それすらも過去の再現だったが、今度はこの程度で終わらせるはずがなかった。
間髪入れずに新たな短刀を掴み、鬼気迫る勢いで間合いを詰めると、渾身の力を込めて女の脇腹に刀身を叩き込む。
切り裂くのではなく抉るように、柄すらも埋め込むほど深く奥の奥まで。
あの男に開けられた風穴など比べ物にならないほど、眼前の細い身体を穿たねば心臓を焦がす殺意は消えない気がした。
激情に囚われた神楽の鼓膜を叩いたのは、耳元で紡がれた女の囁きだった。
「はっ……はは、翔、庵……お前には渡さない」
「っ!?」
掠れながらも力強い声に、弾かれるように顔を上げる。
間近でぶつかった紫倉の青い眼の底には、ドロリとした醜い執着が蠢いていて、神楽は息を呑んだ。
- 530 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]