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街は異様な雰囲気だった。
表面上はこれといって変化がないのに、漂う空気はどこか張り詰めていて、非日常であることはすぐに分かった。
ぴりりとひりつく皮膚と神経に、焦燥が臨界点を超える。
広場に入ったところになって、衣織はついに我慢ならず走り出した。
「おいっ」
雪の声が追って来ても、そちらに意識を回す余裕はない。
見慣れた街並みが、まるで他所の土地のような錯覚に陥る。
ありふれた毎日に異質のものが入り込んだ感覚は、衣織の心に暗雲を垂れ込めさせた。
歩き慣れた路地に滑り込み冬猫の扉を前にした衣織は、荒い呼吸も忘れ息を飲んだ。
冷たくなった指先で、恐る恐るドアノブに触れようとする。
「入るな」
自分よりも一回りは大きな手が、衣織の手をノブの寸前で止めた。
頭の片隅で、自分に追いついた相手に驚く。
だが、今はそんなことに頓着している場合ではない。
「離せよっ」
「分かっているのか?」
雪の言葉に頷いてみせる。
扉の内側には、複数の気配が感じられたのだ。
冬猫の営業時間まではまだ数刻ある。
明らかにおかしい。
「けど、蓮璃が中にいるんだっ」
「今入って行けば、彼女との関係性を立証することになるんだぞ」
そんなことは分かっている。
けれど、どうしても。
「離せっ!」
もう一度、今度は彼の手を振り払い、ノブを回した。
「蓮璃っ!!」
「衣織?」
必死の形相で店内に飛び込んだ衣織は、室内の状況に愕然とした。
足が固まる。
「どうしたの?そんなところに立ってないで、入りなさいよ。今コーヒーでも淹れてあげる」
カウンター、テーブールセット、酒瓶の並ぶ棚。
そして、女主人が一人きり。
まるで普通。
今朝出て行った時と、店の内部は何一つ変わっていなかったのだ。
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