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火澄と一定の距離を保ったまま、気付かれない程度に足に力を込める。
否、彼の力量を思えば、こちらの態度の違和感は察知されているに違いない。
傍らに並んだ雪が、探るような音色で問いかけた。
「この場所は、軍に嗅ぎつけられていないんだろうな」
「……それは、どういう意味かな」
織り交ぜられた裏の意味を汲み取り、火澄の柳眉がピクリと反応する。
二つとない緋色の双眸と、雪の金色が真っ向からぶつかった。
「劇場にいるのは、お前たちだけではないだろう。人の気配が多過ぎる」
「僕が、君を元帥に売ったと?」
「……」
「君を捕まえるために、反逆者を装って誘き出したって?」
「北の情報屋も無事と言ったが、この場にいないのでは信じられない」
淡々と繰り返される疑問に対して、術師はきっぱりと言い切った。
衣織は対峙する男の僅かな変化すら見逃さぬよう、じっと華やかな美貌を見つめ続ける。
正直、火澄のことを疑いたくはない。
父親と世界の狭間で苦しみ、今にも泣きそうな顔で明かされた心情は、紛れもなく本物だった。
訴えかけた衣織に動かされ、息子として父親を止めると宣言した彼が、自分たちを裏切るなんて思えないのだ。
しかし、この人の気配の多さは尋常ではなかった。
衣織たちは彼の策に嵌り、イルビナ軍が包囲する中へと誘い込まれた、と考える方が納得できる。
むしろ、それ以外でこの無音のざわめきの原因は、説明がつかないように思われた。
「衣織くんも、雪くんと同意見なのかな?」
「違うって言うなら、話せるだろ。何で逃走中のあんたたちの潜伏先に、こんなに多くの人間がいるのか」
疑念を隠すことなく突きつける。
隣りからこちらに移った赤い眼は、しばしの間衣織を見つめ、ふっと目蓋によって隠された。
「疑われても仕方ない、のかな」
「火澄?」
「今の今まで、元帥の理想を実現させるために、君たちには色々な迷惑をかけてしまったものね。君たちが疑うのも無理はない」
瞳を伏せて疲れたように眉間を押さえる。
寸前までは溢れるほどに漲っていた、彼の鮮やかな気迫が微かに翳る。
衣織はようやく気がついた。
逃亡者とは思えぬほどしっかりとして見えたのは、すべて火澄の虚勢に過ぎなかったのだ。
どれほど疲弊していても、弱っている姿を見せるわけには行かないと、意識して平時通りに振る舞っていたに違いない。
なぜ、そんな真似をする必要があったのだろう。
今さら自分たちに対して繕ったところで何がある。
微笑みの仮面を外した彼の真実を、衣織は聞いているのに。
戸惑いを覚え何も言えずにいる内に、男はこちらに背を向け部屋の奥へと歩いて行く。
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