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火澄の精霊に導かれるがまま、荒廃した街を走った二人が辿りついたのは、イルビナ国立劇場だった。
舞台に立つ者ならば誰もが夢見る歴史ある劇場は、イルビナが西大陸を統一する以前から首都の花として存在している。
古イルビナ様式の壮麗な外観は、創立時から少しの変化も見られないが、最新鋭の技術を取り入れた補修は幾度も行われている。
震災に襲われたにも関わらず、倒壊を免れるどころか、悠然と佇む総本部に次いで損傷が少なかったのはそのためだ。
これほど目立つ建物ならば、かえって敵の捜索対象から外れるだろう。
上手い場所に身を潜ませたものだと感心しつつ、雪に続いて関係者用の裏口から入って行った。
倉庫や空調設備の部屋が並ぶ廊下を進み、出演者控室も無視して昇り階段に足を掛ける。
「雪」
「あぁ」
先を歩く男の背に呼び掛けると、微かに警戒を滲ませた応答が返された。
やはり、そうだ。
劇場に足を踏み入れた瞬間から気にかかってはいたが、どうやら思い過ごしではないらしい。
人の気配。
火澄たちが潜伏しているのなら、気配があるのは当然。
しかし、肌に触れる細波のような感覚は、決して少人数のものではなかった。
総本部から逃走した人間全員が集合していたとしても、たかだか四人なのだから、明らかに異様である。
衣織は何気ない態度を装いながらも、ブルゾンの内側にある銃の存在を意識した。
二人が足を止めたのは、貴賓席の前だった。
劇場でもっとも高い位置に設けられた個室からは、舞台を一望することが可能で、主に国賓や四大貴族、軍の高官などに利用される。
その特別な部屋の扉を、雪は入室の合図もなしに勢いよく開いた。
「やぁ、数日ぶりだね。雪くん、衣織くん」
出迎えの挨拶は、先ほど耳にしたばかりの柔らかな中低音。
術師の背後から覗いた室内には、甘い微笑を浮かべた火澄の姿があった。
「火澄、無事だったんだな」
「うん、君たちもね」
脱出劇以来の再会だ。
彼ほどの実力者に心配は不要と分かっていても、残して来た身としてはずっと気がかりだった。
目の前に立つ相手は、追われているにも関わらずくたびれた様子もなくて、今なお纏っている大将服に相応しい気迫が溢れている。
「他のやつらは?」
「碧と神楽は舞台の方に下りているよ。玲明くんは動力室の復旧工事をしてる」
「そっか、全員揃ってるんだな」
玲明の正体が明らかになれば、内政干渉として国際問題になるのは確実だ。
反逆者組の安否以上に北の情報屋のことを不安に思っていた少年は、しかし玲明の無事を教えられても硬い表情を崩さずにいた。
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