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「研究の手が入ったことによって、まるで別物のように荒れていた。フロア0では意識を保っているのも難しい」
「そんなに酷いのか」
「外部からの継続的な介入に歪められている。拒絶することで力の消耗も著しいから、なるべく早く儀式を行い安定させる必要があるだろう」
「時間がないってこと?」
「あぁ。放置すれば、先日の地震よりもさらに大きな災害が起こる」
不吉な未来を告げられて、衣織はぎょっと頬を強張らせた。
ダブリアに帰還していたために、イルビナの震災を体験することはなかったが、崩壊した西の都の有様を見れば、それがどれほどの脅威だったのかは想像に難くない。
ネイドのカシュラーンで見舞われた地震ですら、心臓が抜ける心地がしたのだ。
この先イルビナを襲うかもしれない悪夢に、背筋が慄いた。
「けど、どうするんだ。もっとヤバイ地震が来るって言ったって、雪、儀式できる状態じゃないんだろ」
話を聞いていれば、どう考えても彼に儀式など不可能だ。
その場に立つことさえ出来るかどうか。
気遣わしげな色を浮かべる少年に、男は愛おしげな微笑を見せた。
「心配はいらない」
「んなわけいくかよっ」
「確かに、何の対策もなしにイルビナの花突へ進めば、俺は儀式どころではない」
「ほら――」
「だが、火澄の力を借りれば話は別だ」
第三者の名前の登場に、衣織は言い募ろうとした口の動きを停止させた。
甘いハニーブロンドの髪と、緋色の眼。
華やかで雅な美貌が脳裏に映し出される。
「何で、火澄?」
「総本部で俺が監禁させられた場所が、どこか分かるか?」
「そりゃフロア0……あれ?」
玲明との調査でばっちり把握していた情報に、今となってぎょっとなる。
雪が収容された地下牢獄が、フロア0にあったのは間違いない。
再会した階も地下だったし、そこから昇降機を使って地上へと逃げたのだ。
しかし、あのフロアには研究所もあったはず。
レッセンブルグの街中にいたときですら、雪の体は変調を来していたと言うのに、花突のある研究所が目と鼻の先にある牢獄に落とされていたなんて。
薄ら寒い心地になるも、衣織は首を傾げた。
再び手を取りあえたことと、逃走に必死で気付かなかったが、蒼牙の軍勢と対峙した術師は平然と精霊を使役していた。
別れる直前に見た顔色の悪さも見受けられず、他国で目にして来た雪と何ら変わらぬ様子で天園まで辿りつけたのは、なぜだろうか。
答えを要求する瞳で金色を見上げると、相手は焦らさずに種明かしをした。
「火澄の精霊だ」
「……簡潔すぎて分かんねぇ」
「あいつは自分の体内に火精霊を宿している。花突の影響を受けないその精霊を俺につけることで、荒れた精霊から隔離してくれていた」
「でも、蒼牙元帥から逃げるとき、あんたが使役したのって火じゃなくて風だろ?」
「体調さえ元に戻れば、中位以上に呼び掛けるくらいは出来る」
下位の精霊ほど暴走をしているため、使役する精霊は中位以上に限られる。
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