離せない、離さない。
「止まらなかった……止めようともしなかった。あのときの俺の中には、ただ血に汚れた蛍しか存在しなかった」
落ち着き払った様子で淡々と語る男は、その冷静ゆえに衣織の心を締め付けた。
正面の台座に座る彼の瞳は、掌に乗せた水晶を見つめている。
宿る想いは判然としない。
「あの男を殺しただけでは収まらなくて、俺は側近の貴波が駆けつけるまで、神殿に住まう一族の者をこの手にかけた」
父親に、妹を殺された。
妾の子であった蛍は、雪とは半分ほどしか血の繋がりはなかったけれど、そんなことは彼にとって問題ではなかったのだろう。
血や肩書きがどうであれ、異母妹は雪が愛した少女であることに変わりなく、実父は憎むべき仇であったのだから。
彼の話は、衣織の軌跡とはかけ離れたものだった。
所詮は他人が抱き感じた感情。
今は亡き少年の両親は、望まぬ別離を強いられた存在で、家族同士で憎み合った雪の思いを理解するには無理がある。
死別するまで家族仲が良かった衣織に、我を忘れた殺意を家族に抱いた者の心境など、現実感を伴い理解することは不可能なのだ。
なのに。
白い煌きを放つ花石を眺める雪を、否定する気持ちは露ほども生まれなかった。
愛する者を殺されたのだから、仕方ない。
これまで蔑ろにされて来た存在に、大切なものまで奪われたのだから、その報いを与えるのは当然だ。
なんてことは、思わないけれど。
白貴を殺めた瞬間に、彼が蛍を殺した男と同じ罪を背負ったのは明白だけれど。
雪は白貴と同類ではないと、思った。
「取り押さえられた俺は一年の謹慎に処され、その後「廻る者」としての役目に従い、この島を出たんだ」
「よく「廻る者」から外されなかったな」
「血の濃い者は神殿に住むと言っただろう?その暴走で、力のある何人かは俺が殺してしまったし、何より俺以外に贖罪の儀式を行える人間はいなかった」
やむを得なかったのだろう、と雪は口元を歪めたが、果たしてそうだろうか。
島に戻った彼を出迎えた天園の住人は、皆雪への純粋な敬意を注いでいたように思える。
神殿内で族長の椅子を争っていたときに、雪が図らずも島民の信頼まで集めていたことが窺えた。
「島を出て最初に降り立ったのが、ダブリア。ソグディス山の奥深くに、冬の花突はある。そこで、お前と出会った」
「……」
「いつかお前は言ったな、俺を汚したくないと。あのとき俺は「穢れなどない」と言ったが……俺はお前の手に汚されるほど、清い身ではない。己の身に流れるものと、同じ血を被った薄汚い男だ」
自嘲するかのように吊り上げられた唇で、雪はそう罵った。
こちらを見ない金色は、遠い記憶をその白い石越しに眺めているのだろうか。
落ちた沈黙は川底を連想させた。
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