□
「雪……」
そこにいたのは部屋の主にして、己の親。
衰えても見苦しくない程度には整った容貌で、寝台から身を起こす。
寝台にはもう一つの身体があり、色に塗れた男を思えば邪推もしたくなるが、このときばかりは平時と違った。
強い、あまりに強い臭い。
血臭。
赤を通り越して黒に染められたのは、寝台と白貴の全身と、
「蛍……」
横たわる少女。
白銀の波打つ長い髪は乱れ茶に汚れ、滑らかな肌は元の色が分からない。
大きな金色の瞳が白目を剥いて、ぐしゃりと抉られた胸からはまだ血が流れているように見えた。
己の目に映る光景を、理解できない。
受け入れられない。
信じられないのだ。
張り付いて離れない視線の先には、自分の愛する者とよく似た「何か」がある。
「何か」が。
「あ、あ……」
幽鬼を思わせる足取りで、引き寄せられた雪の腕を、赤黒く彩られた手が恐ろしい強さで掴んだ。
「雪、雪みろ。これをやる。直系の血は半分ほどだが、アレは花突に入れるのだ。私よりもよほど花神になれる。そうだろう、なぁ、なぁっ」
差し出された掌には、一つの水晶。
血の色を被っても、静謐に輝く透き通った白であることがよく分かる。
硬い指先でそれを受け取とれば、ゾクッと衝撃が走った。
水晶は、あたたかい。
「あぁ、あ……」
「これがあればいいだろう。一つ分の花神だ、残りの三つは他の部屋に行くといい、そうだ、そうし……っが!」
ごふっと、不愉快極まりない音が白波の喉から搾り出されたのは、風精霊を纏った雪の手が、男の心臓を貫いたせい。
体内にめり込んだ手を力任せに握りこみ、ビクンッと跳ぶ臓器を潰せば硬い感触が掌に残る。
「っは……はっ…ぁ……」
無言のまま引き抜けば、ズジュッと濁った水音が響き、白いローブに鮮血が散った。
汚い。
穢い。
あまりに穢い血。
それなのに、黒く茶色く変色した蛍のものよりも、ずっと鮮やかな色だなんて間違っている。
間違っている。
普段の愛らしい姿からは考えもつかない顔で、蛍は「あぁして」いるのだから。
この男は。
この男はもっと。
「汚く死ね」
父親の花石を握り締めたまま、雪の拳は炎を上げた。
- 486 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]