贖罪であろうか。




「おい」
「……」
「おい」
「……」
「神楽」
「っ……」

徹底無視を決め込んでいた無表情は、囁くように名を呼ばれただけで、あっけなく崩壊した。

負傷者の病室として使われている部屋には、自分とその怪我人のみ。

自ら看病を志願した手前、意識が戻ったら放棄などという無責任な真似も出来ず、仕方なしに腹部の包帯を取り替えてやっていたのだが。

少将の繊細な美貌は瞬きの間紅潮したと思えば、すぐに不愉快に顰められた。

「……なにか?」

可能な限り素っ気無く応答する。

眼鏡の瞳は決して相手の緑と合わせることなく、包帯を巻く手元を睨み付けるが如く凝視していた。

くつくつと喉奥を振るわせる、碧特有の笑い声が聞こえたのは次のときだ。

「緊張してんのか」
「寝ぼけないで下さい。私が緊張する理由がありません」
「そうか?」
「……」

からかいの調子で問いかけるくせに、追求に含まれる真実の意思。

意図的に手繰り寄せるつもりだと気付けば、柄にもなく舌打ちをしたくなった。

あぁ、思い出させないでくれ。

神楽の脳裏に蘇るあの夜の出来事は、叶うならば今すぐ亡失してしまいたい時間である。

優秀過ぎる記憶力を恨んでも、華奢な身にしっかりと刻んでしまった。

布越しに感じる碧の体温。

抱き締める腕の強さ。

こちらよりずっと長身だから、神楽などすっぽりと胸に収まってしまって、耳朶を舐るように紡がれた低音。

聞き慣れた、慣れ親しんだ、己の名前が。

まるで初めて渡された睦言のように、甘い痺れを全身に行き渡らせた。

あのとき感じた絶望といったら、後にも先にもないだろう。

完敗。

これほど相応しい言葉はない。

不遜で横暴。

無節操な色魔かつ戦闘狂。

人を食ったふうに吊り上げる薄い唇からは、牙を連想させる鋭い犬歯が覗いて、背骨がぞわりと落ち着きをなくす。

苦手というよりも、嫌いな男。

初対面からそうだった。

馬鹿みたいに凝視して来た翡翠の双眸は、射抜くほどに怜悧なのに灼熱で、込みあがる苛立ちを抑えるのに苦労した。




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