堕ちる。
「あっ……」
軽い悲鳴に振り向いたのは、神殿に向かう途中の回廊だった。
胸に倒れこんで来たか細い体を、条件反射のように受け止める。
纏ったローブにぎゅっと縋りついた女は、緩やかに波打つ銀髪を揺らして、そっと上目でこちらを仰いだ。
「申し訳ありません、雪様」
鈴のような音色で謝罪する唇は、瑞々しく潤った桜色。
恥ずかしげに伏せた睫毛が、白い肌に影を落とす。
布地越しに感じる柔らかな感触に、雪は吐き気を覚えた。
頼りなかった体躯は四年の歳月の内に、随分と変化を見せた。
男性らしい長身と、均整の取れた骨格、伸びやかな四肢。
怜悧ながらも幼さが残っていた中性的な貌は、誰もが感嘆の吐息を漏らすほど更に美しくなった。
荘厳なまでの神秘的な美貌は、生身の人間であることをともすれば失念させる。
現実感の乏しさを増長させるのは、感情のない双眸だ。
天園では極有り触れた一族固有の金色。
その中において、雪の眼は別格のように見えた。
誰よりも深い色合いで、誰よりも麗しく輝いて、誰よりも強い力を秘めているのに。
長きに渡り数多の欲に晒された彼の瞳には、人ならば持ち得る生きた光だけが欠落していた。
常に絶対零度の冷徹さを湛え、一切の揺らぎもない金色は、見る者に彼に心など存在するのかと疑わせる。
花精霊が人の姿を模したのだと噂する輩さえいた。
どこか別世界を思わせる男の変化は、しかし見目だけではなかった。
「本当に、なんてご無礼を……」
「なんのつもりだ」
言葉少なに返した声の低さに、女は僅かに喉を詰まらせたが、すぐに勢いを取り戻した。
「白貴様がお呼びでございます。お連れするよう、申し付けられて参りました」
「……分かった」
出された父親の名前に小さく眉が動いたが、女は気付く様子もない。
先導するように歩きつつ、時折こちらを流し見てははにかんだ笑みを浮かべる。
その仕草から滲み出る色香に、雪は思い出した。
あぁ、この女は「そう」なのだ、と。
やがて連れて来られたのは本殿に数多くある、使われていない小部屋だった。
明り取りの窓には布が下げられ、日中の日差しを部屋から取り除こうとする。
整えられた寝台があるばかりの室内を見回し、嘆息した。
「……やはり嘘か」
「お許し下さい。ですが、どうしても雪様に思いをお伝えしたかったのです」
「お前は、あの男の側仕えだろう」
「胸に抱く思いは貴方様だけに捧げるものですっ。白貴様ではなく、雪様に……」
必死さが滲む瞳は、男の姿を一心に見つめていた。
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