不意に引き止めたい衝動が湧いたのは、きっと恐ろしさのせい。

持ち上がりかけた腕を寸でのところで止めて、嘆息する。

渦の中に入り込んだ自分に降りかかる、何かに萎縮しているのだと、思い知らされた心地だった。

静かに扉が閉まると、室内はたった二人きりの世界になった。

この土地特有の、柔らかな日差しは差し込んでいたけれど、身を包む空気は不思議とひんやりとしている。

男はしばらくの間、動かなかった。

ただ、衣織にとっては今でも唯一無二の色で、ひたすらにこちらを見据えているだけ。

縫い止められてしまえば小さな身動ぎさえ出来ず、互いに黙したまま視線を絡ませるのみ。

もう小鳥の鳴き声さえ、時計の針を動かすことはない。

時折訪れる雪の瞬きだけが、衣織が時間の経過を知る手段になっていた。

「俺には、妹がいた」

何度目かの瞬きのとき、その台詞が鼓膜を震わせた。

終焉を迎えた沈黙に、夢から覚めた気分で我に返る。

お陰で彼の言葉の意味を理解したのは、数拍の間を空けてからであった。

「妹?」

確かめるように紡げば、対面で首が縦に動いた。

シンラで悟った雪への想い。

例え彼の背景を知らなくとも、自分は彼を好きだと言えるくらいには、雪のことを知っている。

それでいいと思っていたから、術師から聞かされた内容はひどく新鮮だ。

何せ彼からは、今回の天園に来るまで、具体的なバックグランドについて聞かされたことはなかったのである。

男はローブの内側に手を入れて、首にかかったそれを外し掌の上に置いてみせた。

「あ……」

一言だけ、転がり落ちる。

当然だ。

今、雪が提示したものを目にしたのは、過去にたった三度だけだったからだ。

南国の地下で、初めて存在を知ったそれ。

白い水晶がついたペンダントが、相手の手中に乗せられていた。

「これって……」

きらきらと慎ましくも輝く様に誘われて、思わず出掛かった手が、空中でぴたり。

脳内を通過していった記憶が、衣織に待ったをかける。

以前触れようとして受けた、徹底的な拒絶を思い出したのだ。

だが、こちらの戸惑いを見抜いた男は、虚空にある細い手を掴むと、強引に水晶を握らせた。

「おい、雪っ!」
「いい。お前になら、平気だ」
「でも……」
「衣織」

尚も言い募る少年を遮って、雪は強い声で名前を呼んだ。

含まれる真剣に、喉元にあった言葉が失われる。




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