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万感の思いを込めた老人の言葉。
渦が、少年を呑み込んだ。
『花神』
そう時間をかけることなく、衣織の記憶は嘗ての響きを脳裏に蘇らせた。
雪が気に入るほどに、精霊に溢れた東の大地で。
出向いた神殿で対峙した、濃厚な青い髪の女が語った言葉は、楼蘭の民が古くから奉る万物神ではなかったか。
――すべてのものは、花神によって創造され、花神の御許に還る。
絶対の理である、この世の主。
信仰の規制がなされていない世界において、楼蘭族から敬虔な信仰心を向けられた神。
それが、華真の宿命と何の関わりがあると言うのか。
いや。
そもそも華真族の宿命とは、一体何だ。
内心で首を捻る前に、問いは数を増やした。
これが自力ではとても解を見つけることなど出来ない。
暗雲に苛まれる思考に僅かにも残っていた理性に応じようと、思わず傍らの存在を仰ぐ。
「雪……」
なんだよ、宿命って。
言おうとして。
あまりに悲痛な男の姿に、喉が詰まった。
俯かせた面の上に、強く伏せられた眼。
苦しげに寄った眉と、引き結ばれた唇。
まるで荒行に堪える者のような、必死で何かを殺す表情は、あまりに衝撃的過ぎた。
どうして、そんな顔をするのか分からない。
何を思って、彼はそんな表情を。
少年に出来たことは、ただ魅入られたように相手を己が瞳に映し出すことだけだ。
「雪様……」
「……」
「お話になられては、いないのですか?」
「……衣織の母親は、俺と同じ疑問を持ったんだな」
老人に質問で返した男は、つかえた何かを吐き出すように、ぎこちなくも言った。
そして相手の返事を待つことなく、わざとのように逸らしていた目を、ゆっくりと衣織に置いた。
波打つ胸中を示す光を消した双眸に、細い肩が電流を流したように、ビクッと揺れる。
そうして雪は、ひたと少年を見つめたまま。
「貴波、悪いが席を外してくれ」
「……承知致しました」
老人の退出を促した。
立ち上がり部屋を出て行く小さな影。
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