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仲裁に入った火澄を、本当は憎らしくすら思っていたのだ。
誰かに傷をつけられたくて、抉られたくて。
言い返すこちらの弁を凌駕しようと、更に憎悪に塗れた言葉が欲しくて堪らない。
こんな感情、神楽は知らない。
こんな感情、神楽はいらない。
いらない、必要ない、捨ててしまいたい。
後悔と焦燥と自虐と歓喜と満足と。
狂おしいほどだ。
爆発的な混沌の衝動が、身内を埋め尽くす。
自滅への、決して甘美ではない、それでいて強烈な魅力に取り憑かれそうだった。
瞬間。
「なんて顔してんだ……」
「っ……!?」
唐突に視界に現れた大きな掌が、手首を絞殺しようとする神楽の腕を、有無を言わさぬ静かな力で引き剥がした。
鼓膜を揺らした声に、心臓が止まりかける。
ひゅっと高く小さな音が、喉から上がった。
「おい、聞いてんのか?」
寝起きの低音。
有する甘さには、気のせいではない。
こちらを気遣う意思が溢れていて。
「神楽」
吐き気がする。
圧力から開放された手首に、蘇った血の流れが、あまりに速くて。
哀れなほどに白い皮膚の下で、生命の象徴が駆け足なのが、湧き出た感情を全身に廻らせた。
顔は上げない。
自分の腕を見るだけ。
「神楽っ」
まだ、顔は上げない。
目覚めた男の声に、若干の苛立ちが生まれている。
呼ぶな。
名前など、呼ぶな。
気持ちが悪い。
気持ちが悪くて仕様がない。
どうしてこのタイミングで、意識を取り戻すんだ。
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