闇の中の熱。
SIDE:神楽
一幅の月明かり差し込む室内に、軽い水音が響いた。
冷水で濡らした布をよく絞り、眠る男の額に滲んだ汗を、そっと拭う。
存外に長い睫毛で影を作った中将の面を、神楽はひたと見つめていた。
「何を……考えているんですか?」
彼の優秀な頭脳を持ってしても、一向に解けない難問は、きっと永遠に答えを見つけられないのだろう。
違う。
きっと永遠に、神楽は答えを見つけない。
見つけるつもりなど、本当はどこにもないのだ。
こうして訊ねておきながら、碧の唇が動かぬことに、隠された胸中で密やかに安堵する。
そんな自身に、自嘲の笑みが一つ漏れた。
あの時。
紫倉のレイピアが、男の腹を突き破ったあの時。
振り向いた先で見た光景を、きっと自分は忘れない。
広く逞しい背中を目にして、疑問になど思う暇はなかった。
何かに引き寄せられるが如く、落ちた目の終着点は、あり得ぬ箇所から生えた銀の煌きだった。
庇われた。
あの男に、庇われた。
この男に、庇われた。
碧に、庇われた。
こみ上げた思いは何であったのか。
今尚判然としない気持ちは尾を引いて、布を持つ手を僅かに震わせる。
無様なそれを、目蓋を下ろしたままの相手から退かして、ぎゅっと手首を締め付けた。
容赦のない力をこめれば、血の流れがせき止められて、不自然に指が引きつれて行く。
布が取り落とされて、ばちゃっと派手な音を上げながら、ボウルに沈んだ。
「最低だ……」
極限まで押し殺した自己嫌悪は、不自然に掠れた。
どうして自分は気付かなかった。
紫倉の四肢を破壊したからといって、油断していい理由など存在しないのに。
背後から叩き付けられた殺気を、あんな愚鈍な速度でしか認知出来なかったなんて。
とても。
とてもじゃないが、認められない。
認められない。
『彼』が、自分を護るために、『傷』を負った現実など。
神楽には、必要ない。
リビングで玲明に切りつけられた心の傷口を、自分自身でぐちゃぐちゃにしてしまいたかった。
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