これは夢だろうか。

目の前の広い背中を前にして、彼はじわりじわりとその青みがかった黒目を見開いた。

粗暴で好戦的で何を考えているからまるで分からない男は、いつも神楽を苛立たせた。

気紛れな悪戯は性質が悪くて、装う平静をあっけなく打ち砕くばかりではなく、剥き出しの感情を強引に表出させる。

存在そのものが目障りで、傍に寄って来られれば警戒心と妙な緊張を強いられたから、きっと本質的に合わない相手なのだと思っていた。

いや、今現在だとて思っている。

とことんまで相反する男は、だが同時に、神楽にとって無敵の象徴でもあった。

誰の牙にも屈せず、誰の力も打ち払い、己の身一つでどんな苦境も超えて行ける暴力的な存在感、生命力。

彼を従えている火澄とて、もしかしたら適わないかもしれない。

時折、そんなことも考えた。

碧。

その名に相応しい深緑の短髪、エメラルドの眼。

猛禽類を思わせる切れ長の双眸が、輝きを失うことなどあるのか。

揺ぎ無い存在は恐怖心さえ掻き立てたのに。

「あ……あぁ…な、ぜ……なぜ、碧様っ……碧様ぁっ!!」

漏らす悲鳴と共に身体を震わせる女は、眼前の事実を視界に入れたまま、数歩ずつ後退った。

「碧っ!おい、大丈夫なのかっ!?」

駆け寄ってきた玲明が、神楽の前で棒立ちになっている男の前に回りこみ、顔を覗き込んだ。

「アホ……この程度で騒ぐな」
「いや、この程度ってお前なぁ……」

聞こえた碧の台詞は、平時と変わらぬ調子ではあったが、時折荒い呼吸が混じっているのが胸を騒がせた。

鼓動がやけに大きい。

ドンッ、ドンッと。

まるで身体の内側で小爆発が繰り返されているようだ。

玲明の手助けを断った男は、ゆっくりとこちらを振り返った。

自然、下がった視線の先には、未だ刺さったままの紫倉のレイピアがあり、息が詰まる。

「大丈夫か?油断すんな」
「……」
「おい、怪我はねぇだろな?せっかく身体張ってやったんだ、傷なんか作ってたら……聞いてんのか?神楽」

腹から柄を生やしている男が、訝しそうな声を出す。

布地に広がった染みから、ついにはボタボタと血痕が足元に落ちているのに、何を人の心配している、と怒りに似た驚愕が走った。

あんまりいつもと口調が変わらないものだから、もしや本当にこいつは化け物かとの考えが過ぎって、神楽はそぅっと相手の顔を見上げ―――後悔した。

「神楽?」
「火澄様っ、敵の足止めをお願いします!それと、貴方」
「え、俺?」




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