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「怪我してんじゃねぇよ」
「触らないで下さい」
すっと後退して逃れる神楽の腕を、碧が確かな力で掴む。
腕力では敵わないと知っている男は、拒絶の意思を伝えるために、怜悧な双眸で不躾な相手を睨み付けた。
鋭い刃を連想させる眼差しを真っ向から受け止めると、碧は構わずもう一方の手で神楽の前髪をかき上げた。
露になった額に、真っ白な布地。
神楽の繊細な美貌が、傷を負った証拠だ。
「切ったのか」
「……」
男性的な容姿に見合わず長い指が、器用にも片手で包帯を解いていく。
はらりと解かれれば、一緒に当てられたガーゼも床に落ちる。
「刃物……じゃねぇな。硝子か」
「医務の人間が、大げさにしただけです。割れた硝子片が掠めただけですよ」
傷口を見ただけで、どのように作った傷かも分かってしまうのかと、内心で驚きつつ、表面には決して出さない。
血はすでに止まっていたし、本当に大げさにされただけで、もう包帯も必要ないと神楽自身は思っていた。
鬱陶しそうに頭を振って、相手の手から遠ざかろうと試みて。
「で、何の用だ」
動きを止めた。
そらしていた瞳を、ゆっくりと戻す。
こちらを見下ろす緑の輝きには、真剣な色。
あぁ、本当に読めない男だ。
まったくその通り。
いくら碧の監察官だからといって、非常事態にわざわざ理由もなく牢獄に出向くわけがない。
出向かねばならぬ理由があるからこそ、碧を訪ねたのだ。
対峙した男の眼の奥深く。
真実を知った麗人が、求める色はそれじゃない。
神楽の唇が、小さく動く。
「雪さんが、意識不明の状態です」
碧の面に変化はない。
けれど、自分の腕を捕らえた手が、僅かに力を増したことに、気付いていた。
「原因は、荒れた花精霊との接触かと思われます。雪さんの体内エレメントに、異常が診られました。こちらでは、手の施しようがありません」
「俺に言ってどうする」
「私は、『花』開発の即刻中止を望んでいます」
碧の眉がぴくりと動く。
開発の先導者は大将のはず。
火澄の腹心が口にする台詞ではない。
「雪さんをイルビナから逃がすために、彼を目覚めさせたいんです」
「……」
レンズの内側にある輝きには、策略も偽りも見当たらない。
「もう一度言います。雪=華真が体内の花エレメント異常により、意識不明の昏睡状態に陥っています。私は彼を逃がしたい……貴方の協力が、必要なんです」
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