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神楽にぐっと押され、力の抜けた身体を再び椅子に預ける。
先ほどの一件に巻き込まれなかった銀トレイから、少将は自ら注射器を取り、苦みばしった雪の腕を掴んだ。
今度は当然、抵抗もない。
「……衣織さんの捜索は、事実上不可能です」
ほとんど唇を動かさずに言った台詞は、雪の耳にしか入らぬよう、極限まで注意されたもの。
ブラフを撤回させたこちらに、術師もまたひっそりと口元を緩めた。
「そうか」
「ダブリアに戻ったようで、イルビナの勢力外です。彼のことはご心配なく。それより……」
慣れた手つきで腕の内側。
温かな赤の通り道に針を刺す。
「どうなさるおつもりです?今回の実験」
「そっちはどう言うつもりなんだ」
「まだ様子見段階です。貴方の血液がどれほど花精霊に影響を及ぼすか、調べるのはその程度かと」
透明な管に吸い込まれていく紅色は、濃く深い。
二人の会話に気付かぬギャラリーは、術師を屈服させた神楽に驚きながらも、固唾を呑んで行方を見つめていた。
「こっちも様子見だ。エレメントが、どれほど開発の影響を受けているか調べるだけだ」
「貴方がいきなり研究所を破壊するような人でなくて、安心しました」
くすりと仄かな笑みを残し、採血を終えた神楽は白衣の裾を翻して背を向けた。
二度目の打ち合わせが出来ぬまま、今日を迎えてしまったせいでどうなることかと思ったが、上手く行きそうだ。
駆け寄ってきた研究員に、試験官に移したそれを預ける。
背後では雪がまた、感情のない面を作っていた。
「すぐにデータを出して下さい」
「はいっ!」
我に返った面々は、上官の声に素早く反応してみせた。
軍事予算の多くを割いて購入した機材の一つが、緑のランプを点しながら無機質な体を揺らす。
ほどなくして、モニターに並んだ数値に白衣の群れから歓声が上がった。
「すごい……純潔種がここまでとはっ」
研究者特有の表現で話される内容に、雪の眉が不愉快そうに顰められた。
ぱたぱたと軽い足音と共に、神楽にも結果を記した紙が渡される。
さっと視線を廻らせた男は、眼鏡の内側で微かに瞳を大きくさせた。
「なるほど。血中の花エレメント濃度は、確かに……サンプルの比ではありませんね」
雪は体内に多くの根幹精霊を有しているからこそ、あれほど素晴らしい術者となれた。
だが、この場のようにエレメントが荒れている環境下では、平時の能力も己自身を傷つけるだけである。
皮肉な現実に、少将の目が細くなった。
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