SIDE:神楽

「翔庵博士っ!」

懐かしい呼び名に、神楽は瞬間的に眉を顰めたが、すぐに平時の能面を繊細な美貌に被せた。

背後を振り返れば、興奮から頬を上気させた研究員が、目を輝かせている。

「まさか博士との実験に携われるとは思いませんでした。夢のようですっ」
「ありがとうございます」

やんわりと微笑んでやれば、青年研究員は勢いに乗ったのか、神楽にとっては不愉快でしかない真っ直ぐな瞳をさらに煌々とさせた。

「最年少博士号取得の偉業は、未だ研究員たちの間では伝説ですっ。あれほど緻密な理論は、他にないですから。お会い出来て光栄です。軍に入ったかいがありました」
「そうですか」

興味が失せた神楽は、このメリットのない会話を適当に聞き流すことに決めるや、感情の篭らぬ返答を返しつつ、眼前で行なわれている準備作業の光景を、鋭い瞳で捉えていた。

「今回の、花精霊実験も非常に楽しみです。博士の知識の一端に触れられる自分は、幸運としか言いようがありません」
「どうも」

男の意識は別の場所にあることに気付いていないのか、相手の熱弁が止まる気配はない。

吐き出される言葉を煩わしく思い始めた神楽は、作業に戻るように言おうと、研究員に向き直った。

「しかも、今回は華真族が実験体として使用出来ると聞きました。こうなると、博士の発表した作品が製造禁止となったのが悔やまれますっ」

だがこの瞬間、彼の中がザワリと騒いだ。

眼鏡の内側で長い睫毛が微かに震える。

何てタイミングだ。

過去の自分を知っているのだから、出ないはずもない話題だけれど。

けれど、今は。

「……少し、黙ってもらえますか」
「え?だってあれの延長線上で、華真族の体内に存在するエレメント構造を操作出来るかどうかも、わかったかもし……」

「聞えなかったようですね。黙れと、言ったんです」

明確な殺気を滲ませた音色に、士官はピタリと口を噤んだ。

理知の双眸を怜悧に眇め、発言権がないことを知らしめる。

「お話好きのようですね。ですが生憎、私には付き合って差し上げる暇もなければ、理由もありません。どうぞ、ここから出て行って下さって構いませんよ」
「あ……も、申し訳ありませんでしたっ!!」

研究員は頭が取れるのではないかと言う勢いで腰を折るや、足取り荒く他の仲間たちが準備を進める中へと逃げていった。

人を不愉快にさせるだけさせて、最後は逃走するとは、はた迷惑なものだ。

神楽は自身の殺気を逃がすように、ゆっくりと息を吐き出した。

頭の裏で、数日前の出来事が溢れ出す。

抹消してしまいたいあの時間が、彼の顔に影を作る。

存在するはずのない錠剤。

網膜に焼き付いて離れぬ光。

傲慢な牙が持つ熱。

優秀過ぎる頭脳が見つけた真実を、思い出す必要はない。

鮮やかな記憶を掻き消すと、神楽は眼鏡のブリッジを押し上げた。

今はそれどころではないのだ。

追憶に浸る余裕はない。

紅の軍服の代わりに羽織った白衣の裾を翻し、一歩を踏み出したのと、研究室の扉が音もなく開いたのは同時だった。

人工的な明かりの下、輝く白銀と金色を備えた男が、両脇を兵に固められ現れた。




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