「おい」
「……」
「おい」
「……」
「早くも難聴か」
「んだとっ!?もう一回言ってみろっ」

吹雪く雪山は、昨日よりも一層威力を増しているようで、視界はとことん悪かった。

寒さには慣れているとはいえ、こう行く手を阻むように吹雪かれると、正直気分が滅入る。

環境のせいもあってか、物思いに沈んでいた衣織は、依頼主からあらぬ嫌疑をかけられた。

「早くも難聴か」
「本気でもう一回言うな!」

反論ついでに背後を振り返ると、煩そうに眉を顰める美貌の主がいた。

その右頬は、明らかに赤く腫れている。

犯人は誰かなんて、衣織は嫌でも知っていた。

昨夜の事件を思い出してしまい、しょっぱい気持ちだ。

あぁ、雪に拳を飛ばしたのが、自分でなければどれだけよかったか。

「なんだ?」
「いや、気にすんな……。アンタは知らなくていいから」
「そうか?」

定番通り、今朝目覚めた雪は、昨晩の己の奇行など微塵も覚えていなかった。

衣織としては無かったことに出来るので、まったくありがたい展開である。

意味が分かるはずもないのに、彼は納得したのか追及は来なかった。

「それで?さっきから何で呼んでたんだよ」
「なんだ、難聴じゃなかったのか」
「くどい」

同じネタを引っ張られて、呆れ半分むかつき半分。

自分の後ろを歩く長身の男は、昨日と同じように白いマントをはためかせながら、これといって表情を変えずに口を開いた。

「あの女は、恋人なのか?」
「は?あぁ……蓮璃?」

雪はこくんと首肯した。

あの女、なんて言うものだから、思い至るまでに僅かな間が出来た。

自分で音にした名前に、心臓がドクンっと脈を打つ。

「恋人っつーか、どうかな。あぁ、ビジネス?」

衣織の返答に今度は納得出来なかったのか、雪は怪訝そうな顔を見せる。

説明を求められると予想していたはずなのに、口の中はからからに乾いて、舌がもつれそうだ。

「蓮璃の望むような関係をしてやる代わりに、俺はあの部屋と依頼を貰ってるんだ」
「それは……」
「なんだよ。別に悪いことじゃねぇだろ?もともとそういう契約で、雇われたんだし」

早口になってはいないだろうか。

声のトーンは不自然ではないだろうか。

身を切るような寒さだというのに、背筋には嫌な汗が滲み出す。




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