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とんだ誤算だった。
翔嘩に紹介されたときには、少しも感じなかった感覚。
けれど、あの皇帝が斡旋した人物が、一癖ないはずがない。
とんっと背中に走った衝撃に、ようやく自分が壁際まで追い詰められていると気付いた少年は、意思の力を振り絞って上から降り注ぐ視線から顔を背けた。
駄目だ。
幾ら過去と共に歩む決意が出来たと言えど、術師を失くして基盤は脆い。
非情なまでに内面を覗こうとする玲明に、今の自分が耐えられる自信はなかった。
己とて知らぬ根底を、他人の追及が侵略し、勝手気侭に探られる。
不気味な干渉。
防ぐ術のない刃。
何にも勝る暴力だ。
男はきつく目を閉じて、横顔を見せる少年をじっくりと観察すると、露になった白い首筋を手の甲で緩く撫で上げた。
「っ」
微妙な力の触れ方に、背筋が独特の痺れを覚える。
まるでこちらの官能を呼び起こすような、誘いの一手。
以前にも同じようなことがあった。
今よりももっと強引に。
無理に引きずり出そうとする、傲慢な掌が蘇る。
同じ轍を踏むわけにはいかない。
過去に起こった経験から、衣織は思わず瞳を開け……
「そんな顔すんなって。ヴェルンに引っ込んだあとのお前については、ほとんど調べてないし」
「はい?」
瞠目した。
対面であっけらかんと笑っている男は、先ほどまでの侵略などなかったように、実に清々しい。
きりきりと精神を痛めつける重圧が、粉々に砕け散ったようだ。
ぱっと身体を離すと、状況について行けない少年に構わず、玲明は軽い調子で話し出す。
「皇帝が言ってただろ、俺は情報屋。特に『紅の戦神』については右に出るものはいない。何でか分かるか?」
「な…なんで?」
「答えは簡単、俺が異名の名付け親だから」
「……って誰の」
「『紅の戦神』。我が子のことを知らないわけには、いかないだろ?フリーランス時代のお前の情報は、ほとんど知ってる」
得意げに言われて、衣織は唖然としてしまった。
まさか自分に異名を付けた相手が、目の前にいるだなんて。
ある時期を境に、一気にそう呼ばれるようになったのだが、自然に発生したわけではなかったのだ。
「アンタ、余計なことすんなよ……」
すっかり消え失せた緊迫した空気に、ほっと胸を撫で下ろしながら、溜めていた息を吐き出しつつ呟けば、玲明はひょいっと眉を上げた。
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