落とされる煉獄。




「失礼します」

静かに扉を閉めた火澄は、先ほどのやり取りを反芻させながら、長い廊下を進む。

限られた者のみが訪れることを許可されたフロアには人気もなく、物音一つ存在しない。

自身の足音さえも分厚な絨毯に吸収されていた。

沈黙に埋められた世界の孤独な部屋で、止められぬ針を前に心だけは足を止めている。

昇降機の下る感覚が収まった頃、彼は小さく息を吐き出した。

フロア7も同じように自分の執務室だけだが、こちらは確かに人の気配が感じられるし、物音も聞こえた。

構造に差異はないはずだが、こうも違うのはどうしてだろうか。

まるで頭上の階は別世界だ。

事務的に歩みを進めていた大将は、しかし自室の前に佇む部下の姿に、緋色の眼を怜悧に輝かせた。

「また、何か報告したいのかな?紫倉」

険しい顔つきで真っ赤な唇を引き結んだ麗人は、美しい碧眼に揺らぐ闇を宿していた。

仄暗く瞬く、不穏な闇。

それを真っ向から受け止めると、火澄は執務室のドアノブを回した。

「ま、中に入ったら?不満そうな顔のわけを、聞いてあげる」


大佐は強張った表情のまま小さく礼をすると、男の脇をすり抜け入室した。

彼女が何を言いに来たのか、推察するのは容易である。

優雅な所作で革張りの椅子に座ると、両肘をデスクにつき長い指を組んだ。

「それで?」

促す緋色に紫倉は僅かに逡巡した様子だったが、間を置かずに口を開いた。

「碧様の謹慎処分の撤回を、お願いに参りました」
「碧の?何か問題があったかな?」

素知らぬ顔で首を傾げるこちらに、彼女を躊躇わせる何かが切れたのだろう。

紫倉は強い色を瞳に乗せて、語気も荒く言葉を紡いだ。

「中将の謹慎など前代未聞っ、部下にも動揺が広がっており混乱を招く一方です」
「それでも軍規は階級に関わらず、等しく適用されるからこそ軍規なのだと、君なら分かるね」
「しかしっ……」
「碧は上官である僕の命に背いた、処罰されるのは当然のことだよ。おまけに今回の件は僕らにとって大きな痛手だ。雪=華真のアキレス腱を逃がしてあげたんだから」
「碧様に下された火澄様からの命令は、あの時点ではまだ召集令のみですっ!」
「じゃあ、まず碧は僕の招集令を無視したことになるね。その後に、侵入者の逃亡に手を貸すことで、軍規を侵した……重罪じゃないかな?」

自分の弁がどれほど無茶なのかは、紫倉自身よく分かっているはずだ。

それでも碧が謹慎されている事実を認めるわけにはいかないのだと、彼女の形相は主張していた。

紫倉は拳をぎゅっと握り締め、ほとんど睨むように火澄を視界に入れる。

憤りに溢れた女とは反対に、大将はまるで落ち着き払っていて、口元には笑みさえ浮かんでいたが、それでも彼の赤い輝きが冷え切っていると、すっかり頭に血が上った彼女は気付けない。




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