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どうして今、思い出すのだろう。
これは男の唇ではない。
綺麗に紅が引かれたそれは確かに女性のものなのに、じっと見つめていたら、ルージュの赤がひどく禍々しく思えてきた。
「衣織……」
呟かれた蓮璃の呼びかけに不穏なものを感じ、衣織は慌てて脳内に浮かぶビジョンを消し去った。
それなのに、一度芽生えた不快感は拭えず、吐き気すら込み上げる。
鮮烈な紅が、衣織を呪っていた。
「ごめん、俺少し風邪気味でさ。移ると不味いだろ?」
細い肩を離し、微笑んでやる。
己の選択の間違いを自覚しながらも、正解に進むことは不可能だ。
「送ってってやるから、帰ろう」
「衣織」
「なんだよ」
ソファに放られたコートを着せてやりながら、極力優しい声で応答した。
「私のこと、好き?」
赤い唇が吐き出した台詞に、眩暈がした。
強襲する、不快感、喪失感。
ギシリと悲鳴を上げたのは、心だったのかもしれない。
衣織は蓮璃を扉へ促して、己の表情を悟られまいとした。
予想がついたから。
自分が一体、どんな顔でソレを言うのか。
「当たり前だろ……あいしてるよ」
無表情で告げた告白は、脆弱な雪のようだった。
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