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比例するように、頭の芯がスッと冷えて行くのが分かった。
次に与えられるセリフは、考えずとも分かっていた。
「衣織は、どこにも行かないよね?」
窓硝子越しに、視線がぶつかった。
縋るような。
責めるような。
そんな瞳と。
仄暗い感情の揺らぐ、歪な黒と。
交わった眼に堪え切れず、さり気なく顔を背けたのは、逃げであると知っていた。
「……なに言ってんだよ。蓮璃、疲れてるんだろ?いいから今日は帰って寝ろ」
「答えてっ!!」
焦燥に駆られたような叫びに、衣織は逸らしていた視線を彼女に戻した。
乱れた髪にも頓着せずこちらを凝視する女は、まるで憎い敵を見るようだ。
「どこにも行かないでしょう?今日みたいに、帰って来るでしょう?」
ふらっとよろめきながらソファを離れ、蓮璃は衣織の胸に縋り付いた。
綺麗に整えられた長い爪が、シャツに食い込む。
皮膚にはきっと、赤い三日月が浮かぶだろう。
「ねぇ?ここにいるよね?約束したもの」
至近距離で瞳を覗き込まれる。
奈落の色をしたそれは、こちらを引きずり込もうとする。
けれど衣織は知っていた。
彼女の瞳が映すものを。
本当に映すものを。
「いるよ」
優しく言ったつもりだった。
しかし、その声色は衣織が考えていたよりも、ずっと冷たさが香っていて自分自身で驚いてしまう。
誤魔化すように、自分の胸に必死で食らい付く彼女の細い身体を抱きしめた。
「俺はどこにも行かない。蓮璃を裏切らない。どんなことが起こっても、蓮璃のところに帰って来る」
「……衣織、衣織。愛しているわ」
縋る指先にさらに力が入り、涙で潤んだ瞳が閉じられる。
ゆっくりと近づいてきた赤い唇に、衣織はいつものようにキスを贈ろうとして、出来なかった。
脳裏に蘇った雪との口付けが、衣織の動きを止めさせた。
「衣織?」
求める感触を得られぬことを訝って、蓮璃が目蓋を持ち上げる。
髪や頬を撫でて取り繕うけれど、一向に口付けることが出来ない。
脳裏から消えぬ、白銀と金色のために。
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