紅い唇が紡ぐのは。
部屋に留まる気にもなれず一階に下りて行くと、階下の明かりはすでに落ちていた。
常ならば酔客の騒ぎ声や、杯をぶつけ合う音が聞こえて来るはずなのに、人の気配もなく静まり返っている。
いつもより、大分早い閉店。
無人の店内に衣織の心はざわついた。
「蓮璃?」
カウンターの奥にある扉の向こうは、蓮璃の私室になっている。
細く開いた扉から漏れる明かりに導かれ、足を踏み入れた。
「蓮……」
窓際のソファに身を預けた彼女は、ただひたすら窓の外を眺めていた。
硝子の向こう側では、いつの間にか雪が降り始め、この小さな街をさらに白く塗り込めようとしている。
「雪さんは?」
こちらを振り返ること無く声がかけられた。
「……寝てる」
「そう」
先ほどの悪夢を思い出しそうになって、衣織はなんとも言え無い表情を作った。
忘れるのが一番だと分かっていても、しばらくは間近で見ても美しいヴィジョンは消えなさそうだ。
「蓮璃は?もう店閉めたんだろ。家帰って早く寝ろよ」
「今日はこっちに泊まるわ」
彼女の住まいは、冬猫から少し離れたアパートメントだ。
吹雪いた日や疲れて帰るのが億劫なときは、こちらに泊まることもあるけれど、今日は早い店じまい。
雪もまだ降り始めで、長くこの街に住む者であれば、気に止めるほどでもない。
一体どうしたのかと怪訝に思い、口を開こうとした少年よりも一瞬早く、蓮璃が言葉を紡いだ。
「衣織がお友達を連れてきたの、初めてね」
「っ……」
呼吸が詰まった。
氷の手で、首元を掴まれた心地になる。
見る間に胸の中に広がる苦い思いに、両の拳を握り締めた。
これだからイヤだ。
自分の勘は、どこまでも正確で。
時々、本当に嫌気が差す。
「どうしたんだ?いきなり」
返す声は、少しだけ擦れていた。
ドクンっ、ドクンっと。
不穏な音色を奏でる心臓。
一回の鼓動がゆっくり、はっきりと聞える。
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