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何か物足りないと思えば、そうだ。
あるはずの存在が、何処にも見当たらない。
足元の身体がビクリと、これ見よがしに反応したことで、男は全てを悟った。
「っの馬鹿が……」
忌々しげに吐き捨てられた台詞は、誰に向けてのものだったのだろう。
そんな碧の様子すら、今の衣織の視界には入り込まなかった。
「碧様っ!!」
己を呼ぶ声に男は我に返ると、面倒くさそうに一つ息をついた。
どうやら部下が追い付いたようだ。
ここに衣織を置いておけば、拘束されるのも時間の問題。
ぐったりと四肢を投げ出したままの少年を見下ろす。
整った面に曇った眼。
まるで精巧に作られた人形のようだ。
「立て」
「………」
応答は得られない。
聞こえているかも怪しい姿に、碧の顔がこれ見よがしに顰められる。
「ったく、いい加減にしろガキ」
「なっ……!」
言うなり、男は細い体を抱き上げた。
これには放心していた衣織も反応せずにはいられない。
あわあわと焦ったように身を捩り、腕の中から逃げ出そうとするも、小さな抵抗など何のその。
碧は衣織を肩に担ぐと、ジタバタと暴れる足に顔を蹴られないようにしながら、走り出したのだ。
「ちょっ…アンタ何やってんだよっ!下ろせって」
「黙ってろ」
「黙ってられるかっ!……ってうわっ……!」
近くにあった大型装甲自動二輪に少年を放ると、自分は前に。
回らぬ頭ながら、衣織はまさかと言う思いに目を見開く。
新手が近付いて来ているのは、分かっていた。
捕まってもいいだろうとも思っていた。
けれど、まさかこの男は。
「待てよっ、アンタもしかして……」
「だから黙ってろって言ってんだろ」
エンジンの低い稼動音が響き始めたのと、フロア0とは反対の内部へ通じるゲートから、赤い波が流れ出したのは、ほぼ同時であった。
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