まだ闇に包まれたまま。




グラスを傾ければ、冷ややかな水が喉に落ちて来た。

流れは口に含んだ数粒の錠剤を、少しの違和感なく食道から胃袋へと運んで行く。

腹の底がじんわりと熱を持つ独特の感覚にも、もう慣れて久しい。

それがゆっくりと治まった頃、ようやく男は瞳を開けた。

奥行きの深いエメラルド。

何の感情も見当たらぬ眼には、勿論のこと狂気も存在しない。

ただ恐ろしいほどの透明な輝きが、彼の端整な面には鎮座している。

洗面台の鏡を覗き込み、じっと己の顔を見つめる姿は、まるで何かを確認しているかのようだ。

樹海を思わせる緑の短髪も、完成されたしなやかな筋肉に覆われた体躯も。

平生と異なるものは、双眸の光の他はない。

不意に、男の唇から牙さながらの犬歯が姿を見せた。

ニヤリと笑むや、果たして何を思ったのか。

勢い良く背後を振り、小さな隙間を作っていた扉に向かって、鋭い回し蹴りを見舞った。

ガッと鈍い音が狭い空間に木霊する。

木製の扉が彼の一撃に耐えられるはずもなく、ただ開け放たれるのみならず、蝶番がはじけ飛ぶ。

僅かな埃と木片が宙を踊り、扉は無残にも地に倒れ伏した。

純然たる緑はたった一瞬で掻き消され、暴力的な凶悪さを備えた二つの翡翠が灯りのない室内を注意深く見やる。

「……逃がしたか」

呟きを零したのと、部屋の扉が来訪者を告げたのはほぼ同時であった。

彼はバスルームから出ると、ソファに投げていたTシャツに目もくれず、長い足で部屋を横切り黒のボトムしか纏わぬ姿でドアノブを引いた。

「……あ」
「なんだ、お前か」

上官の姿に僅かに戸惑った様子の女は、さっと頬に朱を走らせて碧眼を逃がした。

対する男は、部下の純情な反応に眉一つ動かすこともない。

「どうした?今日は帰ったと思ったが」
「え、あ、いえ。召集令が出されました。至急フロア0へお願い致します」
「召集令だぁ?」

途端、碧の眉が怪訝に寄った。

時刻はもう午前一時を回る。

仕事が立て込んだために、今日は本部に泊まることにしたのがアダになった。

横着せずにアパートメントに戻っていれば、居留守なり何なりでバッくれることも出来ただろうに。

心底面倒くさそうに息をつくと、中将はクルリと紫倉に背を向けて部屋に戻った。

しかし、胸中では己の勘の良さを実感してもいた。

変に胸の奥がざわつくと思い、明日の朝で構わないだろうと思っていた習慣を、念のため今しがた済ませておいたのだから。




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