侵入者アリ。
壁にかけられた時計に目をやれば、既に日付が変わっていた。
神楽はここ最近、少しも減らない執務机の書類に嘆息する。
急激に仕事の能率が下がったことは、普段驚異的なスピードで案件を処理しているために、まだ表面化してはいなかったが、これでは時間の問題だ。
上質な革張りの背もたれに珍しく寄りかかると、青年はそっと眼鏡を外し天井を仰いだ。
原因は分かっている。
儚げな美貌を険しくさせるのは、あの日聞いてしまった会話。
自分なりに調べてみれば、ますます己の仮説は真実に近付いてしまって、最早間違いようがない。
世界が四つの国に分かれ安定したのは、歴史的にはまだそう昔のことではない。
ようやく訪れた平穏は、見事な均衡で保たれ、各国内部の反乱を除けば理想的な形といえる。
だが、蒼牙の思惑が自分の考えている通りだとすれば、この均衡は崩壊する。
最年少で元帥位に就いた彼が、実力主義を打ちたて出自を問わず有能な人材を確保したのも、『花』や飛空挺開発を推進したのも。
内戦が沈静化した今、どうして軍備を強化する必要があるのかと思ったが、全てこのためだとすれば頷ける。
冗談で済ますことが出来ない力を、イルビナは着実に手に入れようとしているのだ。
恐らくは火澄も蒼牙の思想に賛同しているのだろう。
軍のトップ二人が舵を取っているのだから、これは近い将来確実に引き起こされる。
誰も望まぬ事態が、いつの間にやら背後に迫り、気が付けばその凶悪なうねりに取り込まれてしまうに違いない。
引き返せない場所に来てからでは、遅いのだ。
どうすればいい。
自分はどうすればいい。
「問題の要は……『花』」
蒼牙たちの野望になくてはならない存在。
あの白い術札が完成してしまえば、もう奔流は止められない。
逆を返せば、『花』の開発を中断させれば流れは収束する。
飛空挺の開発は終盤に差し掛かっているのだから手の出しようがないが、『花』はまだ間にあう。
強大な力を有する術札は、制御が難しくまた力も不安定。
その為、研究を進める過程で絶対に必要となる人物がいた。
雪=華真。
こうなると、数日前の己の行動が悔やまれる。
あの時に気が付いてさえいれば。
自らの手で首を絞めたようなものだ。
しかし、彼がこちらの手に落ちなければ、『花』の開発は行き詰まる。
完全な拒絶を見せていたから、問題はないはずだが。
「……衣織さんが、全ての鍵ですか」
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