契約成立。
「なぁ、アンタこれからどうすんの?」
「明日になったらもう一度ソグディス山に登る」
開店時間になったことで、店を追い出された彼らがやって来たのは、『冬猫』の三階。
衣織が借りている部屋だ。
こじんまりとした室内には必要最低限の家具しかなく、まるで生活感はなかった。
ただ、パチパチと音を立てる備え付けの暖炉には、煤や燃え滓が残っていて、それだけが彼がこの部屋に帰ってきている証のようである。
衣織はベッドに腰かけると、シングルのソファを雪に譲った。
「また登んのかよ、やめとけって。山賊の残党とかいるかもしんねぇからさ」
チェックのカーテンが引かれた窓の外は、すっかり日が落ちて、街灯に火がともっている。
階下からは、冬猫にやって来た客の賑やかな声が届いた。
それでも二人のいる空間は不思議に落ち着いていた。
「いや、行かなければならないんだ。少し用事がある」
「そうなのか?じゃあ気をつけて行けよな。術師だからって気ぃ抜いてると死ぬぞ」
雪がふっと微笑んだ。
蓮璃の目がなくなった今、彼は優等生面を解除していたけれど、その笑みはやはり艶やかで見惚れてしまう。
「心配してくれるのか?」
「……違ぇよ。してねぇから」
「……」
軽く赤面したのが恥ずかしくて、顔を俯かせたのに、雪の視線が自分に注がれていることが分かってしまう。
「なんだよ?」
「お前、確か何でも屋だと言っていたな」
「そうだけど……なに?」
嫌な予感がした。
自分の勘はなかなか冴えていると自負している。
衣織は片頬を引きつらせ、恐る恐る雪と目を合わせた。
「お前を雇いたい」
予感的中。
「はっ!?いや。いやいやいや。ゴメン、無理。ぜってぇイヤ」
必死の形相でまくし立てる衣織に、雪は眉根を寄せた。
「なぜだ?」
「イヤだからだよっ!」
「そんな理由が通ると思うのか?仕事だろう」
「俺の仕事のポリシーは『無理なく安全に高給与』だっ!!」
「理由になっていないぞ」
勢いに誤魔化されることのない的確な指摘に、「うっ」と言葉を詰まらせる。
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