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意図の読めない会話はまるで世間話。
しかし不審に思い眉を顰めた男は、次の息を呑んだ。
「衣織さんのように、街を探索してみてはどうですか?新しい出会いがあるかもしれません」
「……っ」
部屋の空気が揺れた気配に術師の動揺を察知する。
素直な反応にクスリと口端を持ち上げた。
「そうそう、お加減はどうです?確か、街に入ってすぐ体調を崩したとか」
「なぜ……」
「知っている?…ですか?妙なことを仰るんですね」
雪の言葉を引き取ると、少将は驚いたような顔を作ってみせた。
あまりに空々しい表情に、雪ははっと思い至った。
その一連の流れを観察していた神楽が、ケアレスミスに気が付いた生徒を相手にする教師さながら、繊細な面に微苦笑を浮かべた。
「ここはイルビナ、レッセンブルグ。赤を纏う者は貴方が思うよりも遥かに多い」
まさか、という思いは影すら見せなかった。
通りで見た幾人もの軍人や兵士。
何を仕掛けてくるわけでもないそれらに、末端までは情報が回っていないのだと結論付けたがそうではない。
既に、知れ渡っていたのだ。
隅々まで行き届いた自分たちの情報。
敢えて知らぬふりをさせ、監視していたのは。
白銀の男が導き出した答えを口にするより先に、解は眼前の青年によって音になった。
「衣織さん」
何にも変えがたい、大切な名前。
膨らんだ怒気が瞬間的に臨界点に到達した。
今にも破裂しそうな大気の歪みが肌を焦がし、背筋を粟立たせる。
ギリギリと軋む空間。
射抜く双眸を受け止めながら、神楽はやんわりと窘めた。
「そう簡単に大切なものを教えてはいけませんよ。付け込む人間がいるかもしれない」
「手を出したら、殺す」
「私がそんな無粋な真似をするとでも?あぁ、でも」
窓辺から身を離すとゆっくりと美貌の主へと歩を進め、耳元で囁く。
「近頃は何があるか分かりませんから」
「黙れ」
「衣織さんが、大切でしょう?」
「消えろっ」
腕を振り上げるのと神楽が飛び退いたのは同時。
扉の前に静かに着地すると、優雅な一礼が贈られる。
「ご検討願いますね」
パタンと閉じられた扉を、師はいつまでも見つめ続けたのだった。
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