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どちらも目蓋を下ろしていないせいで、視線は限界の距離で交じり合う。
腰を深く抱き込むと、碧は足を割るようにソコを膝で強く撫で上げた。
「ぁっ……!!」
耳朶を刺激する甘い声。
これが聞きたいがために口付けを解いた確信犯は、満足そうに口角を持ち上げ犬歯を覗かせた。
「感度いいな……」
秘め事のように耳元で囁かれたのは、無意識に握り締めたナイフの刃が、薄い皮膚を破ったときである。
急速に現実が蘇り、小さな痛覚で意識が覚醒した。
このままではいけない。
この男から離れなければいけない。
これ以上は、駄目だ。
どうして今まで作動しなかったのか、突如として鳴り響いた警鐘が、焦燥を駆り立てる。
男の薄い唇が、再び神楽の元に降りて来た。
「って……」
「な…にを考えているんですかっ……!?」
自分よりも20センチは高い相手を突き飛ばし、神楽は平常を忘れ怒鳴り声を上げた。
息を乱した糾弾は迫力に欠け、滴るような色を含んではいたが。
きつく睨み付ける先には、口元に手を当てる中将がいる。
「てめっ…噛みやがったな」
「噛まれても仕方ないことをしたのは誰ですっ!!」
恨みがましい眼で神楽を見据えていた男は、しかし目元に朱を走らせた少将の姿に唖然となった。
まさか。
あの冷然とした神楽が、こんな純真な反応を見せるだなんて、誰が想像出来るというのか。
初めて見た青年の姿は、普段の彼とはあまりにもかけ離れていて。
「金輪際、私の傍へ来ないで下さい…っ」
穏やかな仮面を取り繕うこともせず、そう吐き捨てると、彼はいつもより早い足取りで碧の視界から消え去った。
「は…マジかよ」
次の瞬間、人気のない通路に爆発したのは碧の笑い声。
想像以上だ。
澄ました笑顔で嫌味を言う男の、可愛いとしか言いようがないリアクション。
世紀の大発見をした気分である。
「…同じ黒髪でも」
一頻り腹を抱えた後、彼は血の滲んだ口端にそっと触れた。
ピリッとした痛みすら、今の自分には心地よい。
「やっぱこっちの花の方が、俺には合ってる」
喉の奥を鳴らす碧の瞳に宿った光は何であろうか。
指先についた紅を、男はぺろりと舐め取った。
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