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「どうしました?」
「……」
軍服の袖口から飛び出した小さなナイフは、神楽の手によってひたりと上官の首に冷たい体を摺り寄せる。
上司というのは勿論だが、この男ほどの実力者に武器を突きつけるのは、一種の賭けだ。
もし碧が本気を出せば、戦闘能力では遠く及ばない自分など瞬きの間もなく屠られる。
銀色に輝くナイフを持つ神楽の方が、真実のところ緊張していた。
けれど決して低くはないプライドが、それを表に出すことを許さなかった。
「……」
碧の双眸が鋭さを増す。
比例して、柄を握る手に力が入った。
緊迫した空気は勘違いではないだろう。
ビリビリと大気を震わす男の覇気に、肌が痛んだ。
だが、彼はゆっくりと身を退いたのだ。
こちらが拍子抜けしてしまうほど、簡単に。
余裕の表情の下で密かに胸を撫で下ろしながら、筋肉の強張りを弛緩させる。
けれど、それがいけなかった。
後悔してももう遅い。
生じた隙を突くや、碧は慣れた手つきで細い両手を頭上で一纏めに拘束し、驚愕で固まった神楽に口付けた。
「なにっ……!!」
薄い唇が自身のものに押し当てられた瞬間、足元から這い上がったのは電撃のような衝撃。
全てを奪うほどに強引なキスは、神楽の悲鳴も罵倒も全てを呑み込んでしまう。
片手で押さえ付けられてしまう己の腕力を嘆く余裕など、どこにもなかった。
角度を変えつつ舌先で唇の割れ目をなぞられ、思わず口を開きそうになった己に愕然とした。
今、自分は何をしようとした?
数秒にも満たない小さな戸惑いを敏感に察知すると、碧はガードが緩んだ絶好の機会を見逃さなかった。
「ふっ…やめっ……」
抉じ開けるように侵入して来た彼の舌に、口腔の奥深くまで犯されれば、とてもじゃないが正常な判断は出来ない。
逃げる神楽の舌を引っ張り出し、己のそれで絡め取る。
先の辺りを甘く噛んでやると、硝子細工のような身体がビクリと反応を見せた。
「っ…ん」
辛辣な言葉ばかりを吐き出す唇が、今こうして自分に蹂躙されているのかと思うと、碧の身内は何とも言えぬ陶酔に満たされる。
標本のように磔た両腕から力が抜け、硝子の向こうに見える青みがかった瞳に淡い涙が浮かんだ。
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