□
ノワイトリアに近い自分たちの住む小さな街を、反乱軍は新しい拠点にしようとしたらしく、街は一気に喧騒に包まれた。
元々、『軍』を語っていたとは言え末端はただのゴロツキ。
抵抗すれば容赦なく制裁を加えられ、抗わずともすべてを奪われる。
恐らく街に居た母は異常を察するや、すぐに帰宅したに違いない。
家で料理をしていた父と、花を摘みに行った自分を心配して探しに行こうとも思ったのだろうか。
慣れた林で季節外れのカサバを見つけた衣織は、その鮮やかな赤を両手一杯に抱えて、街で起こっている惨劇など知らず、楽しい時間を想い描きながら家への道を急いだ。
けれど反乱軍の魔手は、街の外れにぽつんと居を構える小さな我が家を、見逃してはくれなかった。
「家がさ、五月蝿かったんだ……たぶん、食器とかだと思うけど、割れる音とか足音とか……」
拳がきつく握られる。
もう誰かに話して聞かせるくらいには平気だと思ったのに、どうしたって脳裏に焼きついたビジョンを思い出すと、呼吸が苦しくなるのだ。
血が滲むほどに握った手に自分よりも低い熱を感じて、少年ははっと雪に目を向けた。
彼が何かを言うことはなかったけれど、言葉以上に優しく手を包んでくれる感触に、背中を押された気がする。
不自然にかいた汗を無視して、衣織は再び口を開いた。
「見たんだ……目の前で」
嫌な予感に胸が騒ぎ、それでもきっと平穏が広がっていると頼りない希望を信じて、家の扉を開いた衣織の瞳に飛び込んで来たのは、食卓を用意する父の優しい笑顔でも、母の遅いっという声でもなかった。
振り上げられた銀色の刃が、窓から入る高い太陽の光を反射して、凶悪な輝きを見せた――刹那。
視界一面を覆う紅。
温い飛沫が少年の頬にまで飛び散った。
眼前に突如として現れた光景を、脳が理解するのにかかった時間はきっと短い。
母の首根を掻き切った見知らぬ男が、背中から大量の赤い水を溢れさせる父を足蹴にしながら、うっそりとこちらを振り返った。
残虐に歪められた唇が、「なんだガキか」と動いた気もするけれど、そんなことはどうでもよかった。
幼い小さな身体に今まで感じたこともないほどの熱い滾りが、細い血管を廻り廻って隅々まで浸透した時、何かが弾け飛んだ。
カサバの花が、虚空に舞う。
床に落とされた銀のナイフで十分だった。
大好きな父の作るオムレツを割っていたそれは、明確な殺気に反応したかのように鋭い凶器になった。
爪先で蹴り上げ手の内に納めると、中腰になった十三歳の身が素早く男の懐に潜る。
次の瞬間には、男は胸の中心に銀の食器を生やしていた。
肉を穿つ感触。
ズクリっとへしゃげたような湿り気のある音。
吹き上がる新鮮な血液。
肩を上下させながら、短い呼吸を繰り返していた。
- 208 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]