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ともすれば逃げてしまいそうな自身を叱咤して、震える手でドアを叩いた。
想像していたよりも小さなノック音に慌てる前に、『入れ』と応答を得られたことに安堵する。
丁寧に入室した自分は、全身をガチガチに強張らせていて。
意識するなと言い聞かせても、今から何をするかと思えばそうもいかない。
「あの……」
俯かせた顔を上げた衣織は、背後でパタンと戸が閉まった途端、薄暗い部屋に驚いた。
備えられたランプに明かりはなく、夜目が利かなければ術師がどこに居るかも分からなかったかもしれない。
寝台の上に身を沈める男は、疲れきった旅人のように思えたが、こちらを見つめる双眸だけが強い力を持っているのだと理解できた。
「何の用だ」
投げやりな口調と態度は、彼にしては本当に珍しく、それが一層雪の心の頑なさを教えてくれているよう。
また拒絶されるのだろうか。
あの綺麗過ぎる瞳に。
そう思うと、頼りない勇気は衣織の視線を床に落とさせた。
「えっと、聞いて欲しいんだ」
けれど、もう後に退くことはしたくなかった。
誤解されたままでいる方が、今の自分には耐えられない。
例えどれだけ拒絶されようとも。
ぐっと拳を握ると、衣織は口を開いた。
「俺、あんたのこと信用してるよ」
軽い。
非常に軽い響きに、言った本人が冷や汗をかく。
これだけ聞けば、取り繕うように言っただけのように聞こえる。
「あ、なんつーかさ、その、香煉に聞かれたんだよ。あんたのことを信用していないのですかって。で、俺、何にも答えられなくて……」
告げ口か。
オマケに馬鹿正直に自分の反応まで教えてしまった。
これでは余計に雪の怒りを煽ってしまいそうである。
何を言えばいいんだ。
考えれば考えるほど、どうしていいのか分からない。
焦る衣織に対して雪が何も答えないことも、少年の混乱を加速させている。
普段ならば冷静に上手くことを運べるはずなのに。
五月蝿い心臓の音に舌打ち。
次の瞬間。
「だぁぁぁぁ!!!あーもーうぜぇっっ!!!」
キレた。
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