君に焦がれる、君を想う。
SIDE:雪
その部屋に灯りなどなかった。
母屋から距離を置いた離れ。
月光さえも雲に隠れた真夜中では、どこにも光源などあるはずもなく。
とっぷりと群青を零した室内は、主の心を映し出す鏡のようでもあった。
――少しも信用していないとしても?
耳に残る不快な音。
けれど、それが術師から抜け出すことはなかった。
脳と言わず胸と言わず、全身を押し潰そうとする不吉な台詞。
信用を得られていないのだと。
あの黒曜石の瞳には、手を繋ぐ意思などないのだと。
突きつけられた。
己の罪を。
彼の気持ちを手にすることが、出来るはずもなかったのに。
何かを勘違いしていた。
平穏を奪って。
姉を奪って。
自由を奪って。
憎まれることはあっても、好意を寄せられるはずがどうしてあるというのか。
舞い上がった心は、都合よく自分の咎から目を背けさせた。
今でも鮮明に残る彼の細い指先、甘い唇。
たったそれだけで、羽が生えたかのような軽やかな想いに酔っていた。
腕の中に捕らえて、決して離さないと。
独りよがりな考えを疑いもせず。
極上の蜜ばかりを口にして、目に映したくないものから逃げていた。
信用を得られるはずがない。
心を貰えるはずもない。
けれど。
裏切られた気分なのも、確か。
「衣織……」
囁きは闇に呑まれることもなく、まるで絶対の光さながら、雪の中の脆弱な感情を照らし出す。
どうして『裏切られた』と思うのか、自分でも分からない。
明確な理由などないにもかかわらず、何故か衣織はこちらを見てくれているような気がしていた。
勝手な思い込みに、自嘲的な笑みが零れる。
本当に、なんて都合よく考えられる頭なのだろう。
こんなに『幸せ』な人間はそうそういないのではないだろうか。
そんなはずないのに。
愚かな自分に、反吐が出る。
目蓋を下ろせば真っ暗な世界にただ一人の姿が浮かんで来て、どれほど自分が彼に焦がれているのか思い知る。
そうだ。
焦がれている。
これほど強く。
恋焦がれているのだ。
雪の金色がじわじわと見開かれる。
何かとても重要な宝を見つけたように。
控えめなノックの音が、室内の静寂と共に雪の思考を破ったのは、そのときだった。
『俺……だけど、今いいか?』
扉一枚隔てた向こう側からかけられた声は、雪が恋をした相手であった。
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