少年は無知を選ぶ。




「わかったっ!」

衣織の大声に正面の男は不思議そうな顔をする。

「それ以上言わなくていいっ。つーか言わないでくれ!な?」

しまった。

自分らしくもない。

なんだって自ら相手の素性を聞いてしまったのだろうか。

普段ならば、背後に何があるか分からない不審な人間に、正体を尋ねるなんて真似はしないのに。

いくら気になったからと言って、一癖も二癖もありそうな男に聞くなど、厄介ごとに自ら飛び込んで行くようなものである。

慌ててかけられたストップに従うと、男は辺りを見回した。

三十ほどの死体が純白の上に横たわっている。

それを吹雪が早くも覆い隠そうとしていた。

「随分と穢れてしまったな」
「あ?死体か?」
「これだけの死臭が漂っていては、今日はもう無理か」

コクンと頷きながら、彼は一人呟いた。

それから不意に衣織に向き直る。

「なんだよ?」

ぐっと見据えられて、嫌な予感がした。

忘れていてくれないだろうか。なんて甘い考えがあったことは事実。

けれど、眼前の男は確かに覚えていたようだ。

「生き残ることが出来た」
「そ、そうだな…」
「約束だ」
「なんのことだ?」

すっとぼけて見たら、彼の眉間に皴が寄った。

「生き残れれば、命を捧げるという約束だっただろう?」
「してないぞ。そんなん」
「ちっ……」

舌打ち。

この綺麗な男からそんな反応が返ってくるなど、誰が予想出来ようか。

衣織は外見に反した行儀の悪さと、自分をハメようとしていた彼に目を丸くした。

確かに、ここで死んだら命をあげられなくなる。とは言った。

だが、衣織はきちんと『仮に』と付け足しているのだ。

男がため息を吐く。

「お前の命を無理やりもらう気はない」
「そうなのか?」
「抵抗するだろう?」
「当然」

即答した衣織に、完璧に作りこまれた荘厳な美貌が、優しく緩んだ。

その様子は、まるで花が綻ぶようで。

艶やかで優しい微笑に、言葉を失くす。

「どうした?」

訝しげに呼びかけられて、呆然と彼に見惚れていた衣織は、我に返った。

今のはなんだったんだ。

柔らかな笑みはすでに消え去り、先ほどまでと変わらない、完全な表情が自分を見つめていた。




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