薫る狂気。




SIDE:紫倉

「術師め、一体どこに行ったっ?」

突発的に走り出した白銀は、紫倉がどれだけ足を進めようとも一向に見つからない。

一時休戦で協力関係にある相手に、何の断りもなしに失踪するなど、どれだけ自分を侮辱すれば気が済むと言うのか。

必死に探すのはプライドが許さず、しかし雪に文句を言ってやりたいがために、放っておくことも出来ない女は、高いヒールの音を通路に響かせ歩いていた。

時折、元はゴーレムであったであろう石塊が散らばっていることと、代わり映えのない一本道ということから、いずれは遭遇するはずである。

しかし、彼女の予想は規則的に動かしていた足を止めたときに裏切られた。

十字路にぶつかったのだ。

雪がどれに入ったかは、当然のことながらまるで分からない。

こうなれば碧を探した方が早いのではないか。

崩落前の立ち位置を考えれば、そう離れてはいないだろう。

無礼な男への文句は一先ず後にするとして、上官を捜索する意見を脳内で可決した紫倉は、正面の通路からぬっと現れた影に、反射的に抜刀の構えを見せた。

何があるか分からないこの地下通路で、油断をするほど愚かではない。

影の輪郭がはっきりと視認出来ると、女はほっと警戒を解いたのだった。

「よう」
「碧様っ!!ご無事ですか?」

軍服のジャケットを着崩した長身の男に小走りでかけよると、紫倉は嗅ぎ慣れた臭気に眉を顰めた。

「どこかお怪我がっ?」

鼻腔を刺激する血の香りに、慌てて上司の身体に視線を廻らす。

見れば左腕の袖が、ばっさりと切られている。

切り口から見えた傷からは、しっとりと赤い液体が滴っていた。

「誰が!?」

碧が負傷したところなど、見たことがあっただろうか。

紫倉は眼前の現実に目を見開いた。

彼の副官として戦場に出るたび、彼女は碧の強さを実感してきた。

だからこそ、分かる。

相手は相当の手錬れだ。

傍に居られなかった悔しさと、敬愛する男を傷つけた相手に対する怒りが噴き上がる。

けれど、今なさねばならないのは。

「触るな」

止血をするため碧の腕を取ろうとした紫倉は、落とされた響きにピタリと動きを止めた。

「碧様……?」

温度を感じさせない、冷酷な声色。

不穏な違和感を感じ、恐る恐る目線を上げた先で見た碧の相貌に、女は駆け巡る戦慄に息を詰まらせた。

「紅の戦神、か」

歪んだ笑みを浮かべる薄い唇。

紡がれた言葉は、ここには居ない『誰か』に向けてのもの。

碧は左腕を持ち上げると、流れ続ける新鮮な血を真っ赤な舌で舐め取った。

「次は逃がさねぇぞ……衣織」

どこか遠くを見つめる翡翠の眼。

残り香の如く漂う殺気に、享楽の色を混ぜた二つの瞳には、確かな狂気が見て取れた。




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