恐かった。

綺麗な雪を穢してしまうことが、恐くて仕方なかった。


「あんたを……汚したくないんだ……」


ぶれる声音で俯きながら紡いだのと、鮮血を溢れさす手で顎を捉えられたのは、同時だった。

「なにっ……んっ」

唇を塞がれる感覚に、瞳が限界まで開かれる。

ともすれば零れてしまいそうな黒曜石。

しかし、実際に流れ落ちたのは、金剛石の光彩を見せた一粒の涙だった。

駄目だ。

汚れる。

雪が穢れてしまう。

そう思うのに。

喰らうように重なった唇は、何度も何度も衣織のそれを味わった。

混乱から上手く呼吸が出来ないせいで、薄く口を開けば、滑り込んでくる舌先。

もがき逃れようとするけれど、突っぱねていた両手は、背後の壁に顔の横でそれぞれ縫い止められる。

「ふっ、ん……」

口内を蹂躙する雪の舌は、衣織の身体から力が抜けた頃、ようやく強引な侵略を緩めた。

打って変わった優しい動きに、酸素の足りぬ脳は『抵抗』の二文字を失念させる。

甘く脳髄を痺れさせるような、繊細な口付け。

気が付けば、雪の動きに応えていたのだと、衣織が自覚することはなかった。

互いの舌を絡め、歯列の裏をなぞり、滲む唾液で喉を潤す。

拘束されていた手は、しっかりと握り合うものへと変化している。

長い長い口付け。

一体どんな意図を持ってなされたのか、まるで検討の付かないキス。

けれど、もう考えることなど出来ない。

「衣織」

口付けを解かれたときには、すっかり息が上がっていた。

真摯に見つめてくる二つの眼は、やはり美しい。

「大丈夫だから」
「雪……」
「穢れなど、あるはずがない」

腕の中へと引き込まれ、力強く抱きしめられる。

温かい場所は、衣織のためだけに用意されたかのようで。

すっぽりと包み込まれれば、不思議な充足感。

頑なに怯えていた心臓が、息を吹き返す。

いいのだろうか。




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