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「衣織」
落とされた声に、少年ははっと視線を上げた。
ポタリっと頬に零れた生暖かいそれが、一体なんなのか。
眼前に立つ白銀の術師を捉えた瞬間、黒曜石の瞳が見開かれた。
虚空で止まった自分の右手。
不思議に思う必要など、どこにもなかった。
赤い刃を受け止めたのは、雪の掌だったのだ。
傷口から溢れ出す血液が、彼のローブを穢して行く。
真っ白な彼を、犯して行く。
じわりと滲んだ血痕に、衣織の背筋が戦慄いた。
「嫌だっ……!!」
「衣織?」
膝をつき視線を合わせようとする彼を、衣織は耳を塞いで拒絶した。
しっかりと閉じられた眼には、映したばかりの映像が、暗闇の中で鮮明に蘇る。
薄汚れた地下の世界で、彼は一つの奇跡のよう。
雪は、綺麗過ぎた。
あまりに綺麗過ぎた。
突き抜けるほどの白。
目に痛いほどの白。
それなのに。
美しい彼が、自分の紅で穢れて行く。
じわりじわりと、紅が白を侵食する。
許されるはずがない。
許されるはずがない。
暴挙としか呼べぬ大罪を、自分は犯しているのだ。
この世界にあって、絶対の美しい者を、どこまでも罪深い自分が触れていいはずがない。
綺麗な彼を穢したくなどはないのに。
雪を穢したくなどないのに。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ」
「落ち着け、大丈夫だから……」
「来るなっ!」
そっと頭に彼の指先が触れた途端、衣織は術師の手を叩き落とした。
咄嗟に開いた黒目が、驚愕に揺れる金色を視界に入れる。
あぁ、その金色に自分など映さないで。
罪を纏ったこの身など、貴方の毒にしかならないのだから。
どこまでも清廉な貴方の輝きを、曇らせるわけにはいかないのだから。
少年の蒼白な面が、くしゃりと歪んだ。
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