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自分に忠実な部下は、時折感情的で困る。
「衣織を離せ」
硬質な響きは、その場の空気を一気に緊迫したものへと変貌させた。
我に返った衣織も今の状態の不自然さに、何とか逃れようと身を捩る。
しかしホールドされた腰はなかなか自由にはならず、逃げ出すことは叶わない。
「あんた、いい加減離せよっ」
「うるせぇよ、黙れ」
「は?マジで困るから離せって」
何が困るかと言えば、刻一刻と表情が剣呑なものに変化する雪が恐ろしいからだ。
勿論、自分だっていつまでも碧の腕に抱かれてなど居たくない。
それなのに、男はどこか楽しそうな様子で術師の視線を受け止めている。
明らかに、挑発している。
一向に解放する気のない男に、これは本気で抵抗を始めたほうがいいのかと覚悟を決めたとき、それは起こった。
横殴りのような振動。
「なっ……」
慟哭のような大地の揺れは、立っていることすらも難しい。
カシュラーンで体験したものよりも強烈な地震に、一同は息を呑んだ。
ビシビシっと音を立て神殿の外壁に亀裂が走り、パラパラと白石が欠ける。
「って、うわっ……!!」
あまりの揺れに、終に足元の石畳が泣き喚いた。
ガクンッという衝撃と共に地面が抜け、ポッカリと口を開けた奈落へと、強制的に落とされる。
自然落下に抗う術はなく、白石に紛れながら四つの人影は皆、悪魔の誘いを断ることが出来なかった。
果てのなき暗闇と、吸い込まれるような錯覚に、衣織の意識は急激に遠のいたのだった。
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