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「クソっ」
面倒なことになった。
ソファから立ち上がってから、衣織はふとあることを思い出した。
不満顔の雪と別れるときに貰った、一枚の紙切れ。
何かあったら破るように言われた術札は、胸元に隠していたはずだ。
一体どういう効果があるのかは知らないが、何せこれを寄越したのは凄腕の術師である。
素早く取り出すと、衣織は長方形の紙を一気に破り捨てた。
「……って何も起こんないじゃねぇかよっ!!」
数秒待ってみたが、変化はない。
全くの無意味な行動に、衣織は裂かれた紙片を放ると、和泉の背後にある窓に向かって駆け出した。
「衣織さん、何をっ!?」
「警備のことよろしくな。迷惑かけてゴメン、上手く誤魔化しといて」
そう言うや、ドレスの裾をいっきに腿まで引き裂いた。
素晴らしい衣装は、無残な傷口から少年の細く長い足を覗かせる。
右の太腿に巻いたベルトから愛銃を引き抜くと、窓硝子に向けて数発乱射。
銃声と硝子の割れる甲高い音が室内に響き渡るが、衣織は少しも気にすることなくチラリと背後を確認した。
いつの間にか集まった十数の兵が手に手に武器を持って、こちらに突進を開始しているではないか。
「じゃあな和泉っ!」
余裕を含んだ挨拶と共に窓枠に足をかけると、そのまま少年の体は宙に向かって飛び出した。
場所は三階。
運が良ければ無傷で行けるはず。
ほとんど賭けの冒険。
しかし落下の最中、衣織は地上に見つけた予想外の人影に目を見開いた。
「衣織っ」
眩い銀髪を微風に揺らし、金色の瞳で落ち行く自分を映す男。
瞬間、少年の身体がふわりと風に包まれた。
速度が急激に落とされ緩やかな下降に切り替わる。
そのままゆっくりと術師の腕の中へと吸い込まれた。
風の精霊が使役されたのだ。
「雪、なんでここに!?」
「話しは後だ、走れるか?」
地に足を着けながら問われ、浮かんだ疑問は後回しにする。
衣織の侵入が伝わったのか、城内からは騒々しい気配が漏れている。
早々に逃げなくては不味い。
走りだした二人だったが、雪の向かう方向がどこかおかしいことに気が付いた。
「おい、裏手に回れば林があんだろ?そっちに……」
「このまま花突に行く」
振り向いた術師はどこか楽しそうに微笑んだのだった。
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