己への不信。
「本当に身代わりになるおつもりですか?」
一夜明ければ、もう雪が何かを言ってくることもなかった。
昨日の一件のせいなのだろうかと考えてみても、逃走した自分に答えなど見つかるはずもない。
一人案内された化粧部屋で待っていたのは、最早能面を取り繕うこともしなくなった香煉である。
「悪いか?」
「ご自分の性別をお忘れですか?」
彼女の前を素通りし、鏡台に着く衣織はニヤリと笑みを浮かべた。
「そういう頭の固いことばっか言ってると、泣きみることになるぞ?」
「何をっ」
カッと頬を紅潮させた女は、並べられた無数の化粧瓶を慣れた手つきで扱い始めた少年に絶句した。
「俺の職業言ってなかったっけ?何でも屋なんだけどさ、これが文字通り何でもやるわけで」
鮮やかとも言える手口で次々と手順をこなしながら、教えてやる。
「俺さ、器用なんだよ」
蓮璃にふざけ半分で施された化粧がきっかけだった。
自分でも呆れる出来栄えで、情報収集のときには特に女のフリをしたほうが楽だった。
脇に用意された青いロングの鬘を被れば、それは上出来。
一部始終を目撃し唖然とする香煉を尻目に、衝立で仕切られた向こう側へと姿を消す。
視界に飛び込んで来た花嫁衣装に、衣織はひっそりと苦笑した。
昔取った杵柄というやつだが、全く思わぬところで役に立つものだ。
ゴソゴソと着替えながら、衣織は彼女の石化を解く意味も込めて口を開いた。
「なぁ、ちょっと聞いていいか?」
「……何か?」
声には嫉妬とも呆れともつかない色が塗りたくられていたが、応答を得られたことに安心する。
続けた台詞は、何気なさを装わせることに成功した。
「あんたらはさ、雪のこと知ってんのか?」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「ほら。『廻る者』の意味とか、何で雪は旅してんのか、とかさ」
ずっと気になっていたが、従順に従う楼蘭族はおかしなほどに雪に敬意を払う。
それは彼が何者なのかを知っているからではないか。
もし知っているのなら、教えて欲しい。
どうしたって、自分には雪に直接聞くことは出来ない。
反則をしているような気持ちではあったけれど、衣織は意識的に無視をした。
しかし、この予想は外れた。
「いいえ。知りません」
「は?」
彼女の返答は、実にシンプルだった。
「私たち楼蘭族は花神様の化身である『廻る者』、華真様に従うのみ」
「花神?」
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